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お店ラジオ 2022/10/14 2024/03/14

上場廃止寸前の大ピンチ!ユニクロ柳井さんの言葉で奇跡の復活劇

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「お店ラジオ」は、店舗経営にまつわるトークラジオ番組です。小売店や飲食店など各業界で活躍するゲストをお招きし、インタビュー形式でお届けしています。この記事は、InterFMで毎週日曜日にお送りしている「お店ラジオ」で放送された内容を未公開放送分も含めて再編集したものです。

今回のゲストは国内最大手のメガネブランド「JINS」を手がけるJINSホールティングス代表の田中仁さんです。メガネブランドを立ち上げたきっかけや、不調時にユニクロ柳井さんにかけられた言葉からの復活劇、商売のコツなどについて3回に分けてお送りします。

第一回は田中さんがメガネ事業に目をつけた経緯から、実際に事業をつくっていく上での苦悩についてでした。

第二回は、上場廃止寸前の絶望からの復活エピソードです。ユニクロ柳井さんからの厳しいお言葉をきっかけに、田中さんは大勝負にでます。

この記事の目次

  1. 上場するも、全く売上が立たずに絶望
  2. 絶望の淵でユニクロ柳井さんに出会い、厳しい言葉をもらう
  3. 幹部を集めて熱海合宿、1から全てを練り直す!
  4. 運命の日に向けて、リスクをとって大改革を進める
  5. いよいよ運命の日。果たして結果はどうだったのか
  6. モヤがかかっていた視界が、一気に開けた

 

上場するも、全く売上が立たずに絶望

JINSが少しづつ規模を大きくしていたころ、テレビCMなどに大きな広告費をかけてブランドを認知させていくタイミングを伺っていました。ある程度店舗数がなければ効果は薄いですし、 JINSは何者なのかということが明確に見えないと覚悟を持ってCMに踏み切ることはできません。うちの場合はそれが2009年でした。

2006年に上場したのですが、当時は雑貨事業が本業でした。メガネだけだと来店頻度も少ないし、雑貨とメガネを合わせたら新しくて面白いのではないかと思い、上場で得た資金でたくさんお店を出していきました。しかし、安い雑貨と組み合わせて売ることによって、メガネそのものの信頼感を失ってしまいました。メガネは医療器具であってデリケートなものなのに、雑貨のように扱われるとなんだか信用できない、ということです。

こうしてたくさん出したお店の全てが赤字になってしまったので全て閉店して、特損(企業経営で臨時的に発生した損失)を計上し二期連続の最終赤字というピンチに陥ってしまいました。株価も50円を切り、時価総額も5億円を切った状態が何日も続き、上場廃止にまでなりかけていていました。

 

絶望の淵でユニクロ柳井さんに出会い、厳しい言葉をもらう

上場したばかりなのにM&Aしませんか、という話が何件も来て、私も完全に自信を失っていました。経営者としての能力がないんだなあ、と諦めかけていた頃、ユニクロの柳井さんにお会いする機会があったのです。

そこで柳井さんに「御社は何をやっていますか」「御社の事業の価値はなんですか」とたくさん質問され、最終的には「ビジョンなき経営は絶対に成功しない。このままでは御社には将来はないですね」とかなり厳しいお言葉をいただきましたその時の言葉は全て正論で、具合が悪くなり翌日の昼まで寝込むほどのショックを受けました。

柳井さんの言葉を振り返りながら「自分はなんのために仕事をしているのだろう」「会社はなんのために存在しているのだろう」ということを初めて考えました。今思うと、この時間は確実に必要でした。誤解を恐れずにいうと、上場は運と縁さえあればできるものです。しかし、そこから成長していくためには絶対にビジョンが必要なのです。

こうして考え続けた結果、商売人として、人としての生き方としての覚悟ができてきました。これまで怖くてできなかったチャレンジも進んでやっていこうと、決意が固まったのです。勝負をして負けたら潔くやめようと腹をくくった途端、どんなことにだって挑戦できると思いました。

 

幹部を集めて熱海合宿、1から全てを練り直す!

すぐに幹部を熱海に集めて合宿を行い、戦略やビジョンを作っていきました。

柳井さんにお会いしたのが2008年12月24日、熱海合宿が2009年1月7日です。そして戦略的に我々の全てをぶつける桶狭間が2009年9月17日ということになりました。この8ヶ月で何もかもを一新し、準備していくことに決めたのです。

まずこの時に明確化したコンセプトは「メガネをかける全ての人に、よく見える、そしてよく見せるメガネを史上最低・最適価格にて新デザインを継続的に提供する」というものです。このコンセプトを照らし合わせて今売り場に出ている商品を見てみると、ダメな商品ばかりだということがわかりました。

なぜこんなことになってしまったのかというと、当時は大きなメガネの会社との勝負を避けるような戦略をとっていたからです。そうではなく、正々堂々と勝負して全員にお客さんになってもらえるような力強い歩みができるようなブランドになろうと決めました。

 

運命の日に向けて、リスクをとって大改革を進める

そこからは大改革を始めました。手始めに薄型レンズにするとそれまで9000円とか追加料金がかかっていたものを、史上最低価格にするならと0円にします。元々追加料金をとっていたものを取らないというのは単純に大きなリスクですが、そこも戦略のためには必要でした。

次にフレームを軽くするために試行錯誤をしました。当時は実はフレームの重さを気にする風潮はまるでなく、メガネは重いのが当たり前でした。何かいい素材はないものかと探したところ、医療用のカテーテル(細い管のようなもの)に使われる素材が軽くて安心・安全だということを発見し、これでメガネのフレームを作ることにしました。

しかし安く作るためには大量に生産しなくてはいけません。だから当時月に1000万売れたらヒット商品なのに一気に7万本も注文するという賭けに出ました。こうして完成したのがAirframeという商品です。

 

いよいよ運命の日。果たして結果はどうだったのか

JINSグローバルスタンダートという長い名前もJINSに一新し、いよいよ来たる9月17日に向けて年間に1億円しか使っていなかった広告費を1ヶ月に5億円も投入しました。もし当たらなかったらおしまいです。

当時の社員はどうだったかというと、みんな必死に私を止めようとしていました。戦略コンサルから転職してきたようなインテリの幹部たちが「無印さんはこうしていますよ」「スターバックスはこうしています」と一生懸命に説得しようとする訳ですね。

でも私はそれを振り切って、覚悟を決めてやったわけです。すると、運命の9月17日、どうなったかというと、なんとお店の前に朝から大行列ができていたのです。

人々は一般的な情報には見向きもしないと思うのですが、自分が知らなかった価値を提供してもらったら、ある程度反応する人が現れます。私たちが唱えた「軽いフレーム」という切り口は多くの人に刺さったのだと思います。

 

モヤがかかっていた視界が、一気に開けた

この行列をみて、モヤがかかっていたような状態だった視界が、一気に開ける感覚がありました。そこまでは毎日不安で仕方なくて、何度も数字を計算し直してシミュレーションをし続けるような状態だったので、心の底から嬉しかったです。メガネだったら日本ではどこにも負けないし、世界でだって戦えると思いました。

後日柳井さんにお会いした時には、お礼をさせていただきました。柳井さんには「いろんな人にアドバイスを頼まれるけど、実行する人はほとんどいません。あなたは数少ない実行者です」とお声がけいただいて胸が熱くなりました覚悟を決めて一生懸命に頑張って、本当によかったと思いました。

今回はここまでです。

次回は大復活を遂げた田中さんにとっての商売のコツと、地元前橋を通じた社会貢献についてご紹介します。

 

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執筆 横山 聡

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