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お店ラジオ 2023/10/12 2023/10/12

28歳で美容学校へ通い、開業。Ashができるまでの苦労とは

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「お店ラジオ」は、店舗経営にまつわるトークラジオ番組です。小売店や飲食店など各業界で活躍するゲストをお招きし、インタビュー形式でお届けしています。この記事は、InterFM・FM大阪で毎週日曜日にお送りしている「お店ラジオ」で放送された内容を未公開放送分も含めて再編集したものです。

今回のゲストは、美容室のフランチャイズ事業を中核とし、地域のお客様に「美と健康と若々しさ」を提供する事業を展開し、「アッシュ(Ash)」を中心に、全国に300店舗以上の美容室などを経営、さらには、暖簾分けフランチャイズ事業やメンテナンスサロン事業など独自のスタイルで事業を展開する株式会社アルテサロンホールディングス 代表取締役会長 吉原 直樹さんです。

大学卒業後、美容メーカーに就職しキャリアをスタート。1986年に横浜市神奈川区に美容室を開業し、その後、店舗を次々に拡大。しかし、10店舗目で店舗拡大戦略を大きく転換。デザイン系サロン「アッシュ(Ash)」を立ち上げ、暖簾分けフランチャイズ事業や、メンテナンスのための美容室の展開、さらに休眠美容師の活用など、吉原社長のこれまでの歩みと美容業界における店舗経営戦略について、3回にわたりお伝えします。

第1回は、サラリーマンとしてのキャリアスタートから、美容室の開業、そしてアッシュの誕生についてお送りします。

 

この記事の目次

キャリアのスタートはサラリーマン

株式会社アルテサロンホールディングスは、美容室チェーンを展開する持株会社として、海外も含めて全国に300店舗以上の美容サロンを展開しています。

私は、1986年に、横浜市神奈川区で美容室を開業しました。

もともと、私は美容師ではなく、タカラベルモントという理美容機器を販売する企業で、サラリーマンとしてキャリアをスタートしました。4年間セールスマンとしての経験を積み、その後、私のお客様から「うちの会社にマネージャーとして来ないか」というオファーを受け、その方の会社で働くことにしました。

私が転職したその会社は、当時美容室のチェーン展開を始めていくタイミングで、私は新店舗開発や新規出店の担当として入社しました。店舗のオープンはもちろん、オープン後のフォローや美容師のマネジメント、採用、顧客の獲得と定着化など、多岐にわたる業務を担当していました。

 

スタッフに認めてもらうため28歳で美容学校へ

当時の美容室には、暴走族出身の若者たちが多く在籍していました。

私は、彼らをプロフェッショナルとして教育し、一人前の美容師として育て上げるためには、大きな夢や目標が必要だと感じました。そこで、「日本一の美容師になろう」という目標を掲げ、彼らに伝えました。しかし、彼らからは「俺たちは美容業界のエリートではない」という反応が返ってきました。

私は、技術さえ身につければ、彼らも日本一になれると信じていたので、私が知る有名な先生に彼らを指導してもらうことにしました。すると彼らは熱心に学び、驚くべき速さで技術を向上させていきました。特に職人肌の若者たちは、一度熱中すると夜も寝ずに勉強に励む姿勢を見せました。

そして、4年後、彼らの中の一人が全国チャンピオンに輝くという結果を残したのです。この成功は、他の若者たちにも大きな刺激を与え、営業成績の向上にも繋がりました。

その後、私の担当店舗は増え続け、15店舗を超える規模となったのですが、技術者ではない私の指示に従わない者も出てきました。当時はまだ美容師の資格を持っていませんでしたので、28歳で美容学校に入学し、美容師の免許を取得する決意をしました。

 

駄菓子屋の2階からのスタート

美容師の資格を取得すると、自分のお店を立ち上げたくなります。私は資格を取得した後、しばらくマネジメントしているお店で経験を積んだ後、駄菓子屋の2階にある10坪程度の小さな場所に、お店を開業しました。

最初は3人のスタッフを雇用し、私はまだ特別な技術も持っていませんでしたので、経営者兼アシスタントとしてお店をスタートしました。

しかし、駄菓子屋の2階という不利な立地であったため、売上は前職でマネージャーとして担当していた店舗の半分程度で、給料や家賃、材料費の支払いで精一杯の状態でした。

そんな状況でしたが、知人が経営していた美容室が店を閉めることになり、そのお店を引き継いでもらいたいという依頼がありました。当時もまだ十分な資金はありませんでしたが、お金は後から払ってくれればよいという条件を提示してもらい、その話を受けることにしました。この新しいお店は、4人のスタッフでスタートし、月間売上は1店舗目と同程度の約150万円でした。

2店舗を経営しているうちに、私の技術も向上していきました。そして、2店舗目を開業した翌年、自宅近くに3店舗目をオープンしました。この店舗は月間売上が約200万円と、前の2店舗よりも好調で、3店舗合わせての収益は薄利ではありましたが、それぞれの店舗が安定してきたことで、生計を立てることができるようになりました。

 

10店舗を目指しての店舗展開

美容室の開業には様々な背景や経緯があるかと思いますが、美容師として優秀であり、お客さんがある程度定着した後に独立して開業するというのが一般的でしょう。そのため、開業当初から一定の利益を見込むことができるのです。

しかし、私の場合はその一般的なパターンとは異なり、技術や経験が乏しく、抱えるお客さんもいない状態での開業でした。

それでも私が独立を決意した背景には、明確な計画がありました。30歳での独立を果たし、40歳までに10店舗を持つことを目標としていました。

小さな店舗であっても、1店舗あたり月に15万円の利益を上げることができれば、月収150万円、年収1500万円を目指すことができると考えていました。そして、計画通り3店舗、4店舗と順調に店舗数を増やしていくことができました。

 

10店舗を目指してのブランド戦略

私のお店は、格安店というコンセプトで運営していましたが、フランチャイズ展開を考えていたため、各店舗には異なる名前を付けていました。

一般的には、カレー屋や牛丼屋のように、ある統一されたブランド名の下でフランチャイズ展開する方が、加盟店が増えやすいと思われますが、独立を考える美容師の場合はその逆です。

美容師は、自分のブランドのお店を持ちたがり、他の店と同じ名前を持つことを好まない傾向があるのです。それは、お店を自分の「お城」と感じており、その名前も自分自身で決めたいという想いがあるからです。

また、他の業種においては、ブランド名が統一されており、お客様からそのブランドに対して一定の認知やイメージをもっていただけている場合、お客様がそのお店のサービスや技術の品質を予測しやすく、安心感を提供することができます。

しかし、美容室の場合、お客様はお店のブランドよりも、担当の美容師個人の技術や人柄に魅力を感じることが多いのです。だからこそ、独立した美容師のところにお客様が移動してしまうことも珍しくないのです。

 

ブランド戦略の大転換とアッシュ(Ash)の誕生

私は、10店舗まで、そういった理由で各店舗に異なる名前を付けて展開していました。しかし、38歳の時、経営の師とも言える方とお話し、私の経営方針が大きく変わりました。

この方は20店舗以上、規模の大きい店舗を経営しており、私の経営する店舗の規模に疑問を投げかけました。

当時、私が経営していた10店舗の合計で、月間2500万円の売上がありましたが、彼は「フランチャイズ展開を考えるのであれば、そんな小さな店ではだめだ」と私に言いました。
そして、フランチャイズ展開を考えているなら、独立を望む美容師が、自分にはゼロから作ることが無理だと感じるような大きな規模の店を目指すべきだとアドバイスしてくれたのです。

彼の言葉に触発され、3年間の勉強の末、都立大学駅前に新しい店舗をオープンしました。この店舗は40坪の広さを持ち、月間700万円から800万円の売上があり、年間で約1億円の売上を達成しました。

これが、「Ash(アッシュ)」というブランドの始まりでした。そして、この新しいフォーマットでの多店舗展開を開始したのです。

 

このとき、大きな夢を追い求めるなら、それに見合ったリスクを取る勇気が必要だと感じました。大きな売上を目指すなら、それに見合った投資も必要であり、どこかで大胆な決断を下さなければならないのです。

 

第1回は、サラリーマンとしてのキャリアスタートから、美容室の開業、そしてアッシュの誕生についてお送りしました。

第2回は、優秀な技術者の雇用や独自のフランチャイズ制度、新しいニーズへの対応についてお送りします。

執筆 横山 聡

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