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お店ラジオ 2023/12/12 2024/03/14

サードプレイスとしてのコーヒーショップ

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「お店ラジオ」は、店舗経営にまつわるトークラジオ番組です。小売店や飲食店など各業界で活躍するゲストをお招きし、インタビュー形式でお届けしています。この記事は、InterFMで毎週日曜日にお送りしている「お店ラジオ」で放送された内容を未公開放送分も含めて再編集したものです。

今回のゲストは、2011年に東京都恵比寿に猿田彦神社をモチーフにしたスペシャルティコーヒー専門店「猿田彦珈琲」をオープンさせ、翌年からはコカ・コーラ社の缶コーヒーの開発に参加し、猿田彦珈琲監修の「ジョージア ヨーロピアン」シリーズを共同開発するなど、独自の戦略により20店舗以上を経営する、猿田彦珈琲株式会社  代表取締役  大塚朝之さんです。

「猿田彦珈琲」の由来から、俳優業の挫折からサードプレイスとしてのコーヒーショップとの出会い、猿田彦珈琲のコンセプト、世界コカ・コカコーラとの共同プロジェクトによる新しい缶コーヒー「ジョージア ヨーロピアン」シリーズの開発秘話、スモールビジネスとビッグビジネスの2軸へのこだわりなどについて3回に分けてお話しいただきます。

第1回は、猿田彦珈琲の由来とサードプレイスとしてのコーヒーショップ、創業などについてお送りします。

 

この記事の目次

 

猿田彦珈琲の名前とロゴの由来

猿田彦珈琲は、2011年に東京都恵比寿にオープンしたコーヒー専門店です。「たった一杯で幸せになれるコーヒー店」というコンセプトのもと、生豆の仕入れから焙煎までの一貫した流れにこだわりを持ちながら、現在では全国に21店舗を展開しています。

店名「猿田彦珈琲」は、一般的なコーヒーショップの名前とは異なる漢字で表記されています。このユニークな名前は、デザイナーであるヒロ杉山さんの提案によるもので、「猿田彦神社」をモチーフにしています。

私が、ヒロ杉山さんに店のロゴデザインを依頼した際、彼は「猿田彦珈琲」という名前を提案しました。猿田彦神社は古いものから新しいものへと道を開く神様として知られており、そのコンセプトが、コーヒーの新しい世界を開拓する私たちのビジョンに合致していると考えられたため、この名前が選ばれました。

猿田彦神社には八角形の石があり、地域で非常に有名であるため、私たちはこの石をロゴデザインのモチーフとして採用し、ヒロ杉山さんにデザインの作成を依頼しました。

 

俳優の夢とサードプレイスとしてのコーヒーショップ

私は15歳から10年間、俳優を目指して活動していました。全く売れることはなく、たまに良い仕事をいただく程度だったのですが、徐々に生意気になっていく自分がいました。小さな映画の良さを語りつつ、それでもメジャーに進まなければ俳優として生計を立てることはできないため、夢や嫉妬のような複雑な感情を、子供ながらに抱いていました。

そんな時期に、私はよくスターバックスに足を運んでいました。スターバックスの従業員と客との心地よい距離感が私にとって居心地が良く、不安や焦燥を和らげてくれたのです。当時のスターバックスは、逃げ場所であり、受け入れてくれる大切な場所でした。

時間が経つにつれて、コーヒーショップは私にとっての「サードプレイス」になっていったのです。20歳を過ぎた頃、その感情はより強くなりました。そして、友人が経営する下高井戸のコーヒー豆店「南蛮屋」で働くことになったのです。

 

「南蛮屋」での経験とコーヒーへの目覚め

「南蛮屋」で働き始めたことで、初めてブラックコーヒーの深みに触れました。以前はスターバックスでカフェラテやカフェモカを好んでいましたが、ブラックコーヒーの複雑な風味に魅了されるようになりました。

その魅力に心を奪われた私は、半年後にはコーヒーマイスターの資格取得を目指して試験に挑戦しました。南蛮屋での3年間以上の経験は、私の人生に大きな影響を与えました。

2006年頃、私が南蛮屋で働き始めた当時、日本には「コーヒースタンド」の文化がまだ根付いていませんでした。私はコーヒーを提供する新しいスタイルの場所を「コーヒーバー」と呼び、このスタイルはいずれ日本でも受け入れられると確信していました。

時が経ち、下北沢に「ベアポンド」というコーヒースタンドがオープンし、そのスタイルが都内各地で流行を見せ始めました。私はこのトレンドを見守りながら、自分もこの波に乗るべきだと感じ、新たな挑戦に踏み出す決心をしました。

 

零資金からの挑戦:独立への道のり

私は独立して自分の店を持つことにしましたが、当時の私には資金が全くありませんでした。自己資金もなく独立を決め、南蛮屋の社長に独立の意志を伝えたわずか2日後、ある同僚から突然の電話がありました。

「100万円振り込んだから、それを資金としてお店を探しなさい」というものでした。私はこの100万円を頼りに物件探しを開始しましたが、物件はなかなか見つからず、資金は徐々に減っていきました。

そして、遂に恵比寿で理想の物件を見つけましたが、費用は私の予算の3倍でした。しかし、私の中でこの物件しか考えられず、25枚の事業計画書を作成し、不動産屋や大家に提出しました。その日は、2011年3月11日で、東北大震災が起こった日でした。

3月末まで連絡がなく、私は、もう店の取得は難しいと諦めかけていた時、物件の取得が決定したとの連絡がありました。資金不足に悩みながらも、家族や友人からの支援を受けて、何とか店舗の契約を結びました。しかし、結局のところ、私の手元に残った資金は7,000円になっていました。

お店は借りられたものの、私には資金がありませんから、店舗のリノベーションを自らの手で行う決意をしました。建築の知識や経験はありませんでしたが、高校時代の友人や周りの人々の支援を受けながらリノベーションを行いました。

お店のオープン時にも工事は完了しておらず、最初のうちは昼に営業を行い、夕方から夜にかけて工事を行う日々が続きました。

 

赤字覚悟でチームづくりを優先

当初、店舗の修繕やそのための営業時間の短縮、さらには家賃の負担が赤字を招いていました。また、実は他にも要因があり、私は最初、自分と1〜2人のスタッフでの運営を想定していたのですが、そこに後輩が加わり、最初から5人のチームでスタートする事になったのです。

元々自分たちだけで細々と営業していければ良いと考えていたのですが、多店舗展開を目指す方向に展開せざるを得なくなりました。この方針転換により、1年半は店舗の基盤作りに専念することにし、赤字を出してでも、チームづくりを優先することにしたのです。

しかし、1年半も赤字を続けるとなると資金繰りが厳しくなりますので、金融機関への融資のお願いしたのですが、ある金融機関ではボロボロに言われて追い返されたこともあります。

今でもその時の廊下の蛍光灯の光を思い出すと悲しくなってしまいます。しかし、区の創業支援を求めた際、担当者の方に私の事業計画を高く評価していただき、昭和信用金庫から300万円の融資を受けることができました。

融資は店のオープン後でしたが、1年半の赤字を覚悟でチームを強化し続けました。その結果、売上は毎月前月比で1.1倍ずつ上昇し、1年半後の黒字転換を見込んでいました。

 

事業計画とストーリーの重要性

事業を始める際、私が参考にしたのは、あるバックパッカーの経験をもとにした飲食店開業ガイドのような本でした。その本の名前は思い出せませんが、内容は具体的で分かりやすく、私にとって非常にインスピレーションを受けるものでした。

特に印象的だったのは、事業計画書における自らの背景やストーリーの組み込みの重要性でした。確かに、売上や客単価といった数字データは欠かせませんが、それだけでは不十分で、背後にあるストーリーを伝えることが事業の成功のカギとされていました。

私自身、以前は役者として活動しており、映画制作の中でストーリーテリングの力を実感していました。その経験を生かし、自分の背景や情熱を事業計画に織り込んでみると、私のビジョンがより明確に伝わり、多くの関係者から信頼を獲得することができました。

第1回は、猿田彦珈琲の由来とサードプレイスとしてのコーヒーショップ、創業などについてお送りしました。
第2回は、猿田彦珈琲のコンセプト「図工室のコーヒー」、コカ・コーラとの共同事業などについてお送りします。

 

執筆 横山 聡

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