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お店ラジオ 2024/04/18 2024/04/18

長野県の小さなこだわりのお店『わざわざ』

about

「お店ラジオ」は、店舗経営にまつわるトークラジオ番組です。小売店や飲食店など各業界で活躍するゲストをお招きし、インタビュー形式でお届けしています。この記事は、InterFMで毎週日曜日にお送りしている「お店ラジオ」で放送された内容を再編集したものです。

今回のゲストは、東京での挫折から長野へ移住し、将来の店舗展開のためのプロモーションとして移動販売でパン屋を創業、こだわりの商品ラインナップでこだわりのお店を展開し、独自のプロモーション戦略により地域を元気にするお店、わざわざを運営する、株式会社わざわざ 代表取締役 平田はる香さんです。

挫折から長野へ移住し、パン屋を創業、そして実店舗とECサイトを運営。わざわざ独自の値付けと商品ラインナップの戦略。こだわりの商品ラインナップからわざわざ独自の透明なブランディング戦略、大ヒット商品「残糸靴下」、地域へ貢献したいという思いなど、3回に分けてお話しいただきます。

第1回は、長野へ移住しパン屋を創業、丁寧な告知と、商品ラインナップ戦略についてお送りします。

 

この記事の目次

 

長野の小さなお店わざわざ

わざわざは2009年、長野県の東御市という人口約3万人の小さな町で、パンの移動販売からスタートしました。最初は個人事業主として始め、その年にパンと日用品のオンラインストアを開店し、さらに実店舗もオープンしました。そして、2017年に株式会社わざわざを設立しました。

現在、わざわざでは、パン菓子の製造、実店舗およびECサイトの運営、オリジナル商品の企画販売、喫茶の運営、古本や古物の販売など、多岐にわたる活動を行っています。スタッフはアルバイトを含めて20名を超えています。

わざわざという名前の由来は、山の上にパン屋を作ったことにあります。その場所は公共交通機関が通っておらず、最寄りの駅からでも徒歩で1時間かかるような状況でした。そんな場所にある私たちのお店に、「“わざわざ”お越しいただきありがとうございます」という感謝の気持ちを込めてこの名前にしました。

 

東京での挫折から長野へ

私は現在、小売業を主体にしながらパン屋を経営していますが、もともとは全く異なる仕事をしていました。東京でクラブDJとして活動していた私は、自身のDJイベントを告知するためのWebサイトを制作したり、Webデザインの仕事をしていましたが、大きな失敗を経験し、それ以降、すべてが嫌になりました。その結果、私は長野に逃げることを決意しました。

長野県は私にとって縁もゆかりもない土地でしたが、元夫が転勤により長野県で働いていたため、彼に頼って長野に移住することにしました。

そして、これからの人生で何か社会に貢献したいと考え、自分のできることを整理してみました。私は料理が得意で、ファッションの専門学校で学び、WEBデザインも経験していました。それぞれのスキルを組み合わせて、私しかできないことを見つけ、お店を開業することを決断しました。

 

移動販売からスタートしたわざわざの創業戦略

最初は移動販売で資金を集め、その資金を使って実店舗を立てる計画を立てていました。約半年後には自宅でお店を開く予定で、フライヤーを配布しながらオープンの告知を行いました。この告知戦略は、私がDJをしていた頃に身につけた集客術を活用したもので、しっかりと告知をしてお客様を集めてからオープンしました。

移動販売は売れるイメージはないかもしれませんが、意外なことに非常に好評でした。これは、パン屋さんが近くになかったことも大きな要因で、競合他社がほとんどいない状況でした。

また、開業の1年前からブログを書き始め、主婦がお店を開業する過程を面白おかしく綴っていきました。
オープンまでの日々を楽しみにしている読者も多く、多くの人々に共感していただいていたのも、移動販売がうまくいった要因だと思います。そのため、移動販売を始めた瞬間からお客様が訪れ、「おめでとうございます。やっとできたんですね!」と声をかけてくれました。このようなデジタル広告の手法が効果的だったのだと思います。

 

地域を巻き込む丁寧な告知

私たちは創業前から、ブログを通じて事前に情報を発信するなど、様々な方法で告知を行っていました。しかし、ブログの読者は、東京などの都市部の人々が多く、地域の人はあまり見ていないことが分かっていましたので、地域に対しては直接の告知も行いました。

例えば、スーパーや道の駅、ガラス作家のお店やセンスのいい雑貨店など、関連する場所や同じ想いを持つお店に、自身でデザインしたフライヤーを置かせていただいていました。また、フライヤーを地域へ配布しイベントも行い、イベントが終わった後には古いフライヤーを回収し、新しいものを配布するなど、かなり細かくケアしていました。
当然、デザインにも配慮しており、自然な馴染みのあるデザインになるよう心がけました。

こうした丁寧な告知を行った結果、イベントなどへも多くのお客様にご来場いただくことができました。イベントは通常、午前10時から午後2~3時まで開催し、パンが売り切れ次第終了と告知するのですが、、大抵は午後2時頃には完売していました。一回の出店での総収入は約2万円で、薄利多売の状況ではありましたが、持ち出した商品は完売することができました。

 

移動販売から店舗販売への転換

2009年の春からスタートさせたパンのビジネスは、初めのうちは好調で5月にピークを迎えたものの、夏に入ると売上と集客が下がり始め、6、7、8月は売上が大幅に減少しました。

このペースだと継続が難しくなると感じ、8月には一度活動を休止し、9月に店舗をオープンさせました。通常、初期投資のリスクが高いと考えて実店舗の立ち上げには踏み切れないかもしれませんが、移動販売でのパンのビジネスは店舗を開くための宣伝広告ツールと当初から考えていたから出来たことだと思います。それほど、パンは敷居が低く、多くの人にとって受け入れやすい商品なのです。

しかし、パン屋は敷居が低い一方、労働量が売上の限界を決定してしまいます。私の場合は3万円が売上の限界であり、利益がほとんど残らない構造になってしまうことが分かっていましたので、パン以外の日用品も取り扱う店舗に業態をシフトすることにしていたのです。

手作りパンは労働集約型であり、大量生産するビジネスモデルとは異なります。2009年に小規模の生産からスタートし、今ではかなりの量を生産するようになりましたが、大量生産にシフトすることは、同時に手作りの魅力を損なってしまうリスクもあります。

 

値付けと商品ラインナップの戦略

パン屋を始めるにあたっては、値付けも非常に重要だと考え、長野県内にあるほとんどのパン屋さんへ足を運び、価格調査をしました。
天然工房のような特徴を持つお店や、石窯で焼いているお店など、付加価値を付けて商品を販売しているお店の価格を調査して、市場の相場感を掴んだうえで、私たちの商品はどれくらいの価格が適切であるかを検討しました。

結果、比較的高めで利益率も悪くない価格帯で販売を始めることができましたので、最初の値段設定からほとんど値上げすることなく販売を続けることができました。

商品ラインナップについては、最初27種類ほど取り揃えていましたが、効率化と品質の安定を図るため、3年間で2種類まで絞り込んでいきました。それは、種類が多いと、生産性が低くなってしまうことや、提供するパンの質が安定しない、初期に過剰労働になってしまうという理由からでした。そして、徐々にパンの種類を減らし、労働を集約させることで効率よく大量に作る方向にシフトし、最終的には食事パンに特化した店となりました。

第1回は、長野へ移住しパン屋を創業、丁寧な告知と、商品ラインナップ戦略についてお送りしました。

第2回は、健康志向への転換、県外プロモーション戦略、こだわりの商品ラインナップについてお送りします。

執筆

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