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お店ラジオ 2023/07/07 2024/03/14

有機的に人と人とが繋がって、さらに人を呼ぶ循環を作りたい

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「お店ラジオ」は、店舗経営にまつわるトークラジオ番組です。小売店や飲食店など各業界で活躍するゲストをお招きし、インタビュー形式でお届けしています。この記事は、InterFMで毎週日曜日にお送りしている「お店ラジオ」で放送された内容を未公開放送分も含めて再編集したものです。

今回のゲストは、大阪心斎橋PARCOの地下2階にある“ネオン食堂街”の開発に「地元カルチャーを知る人」として関わり、自らも出店してお店に立つ「TANK酒場/喫茶」マスターの古谷 高治さんです。

1990年代にオープンした「ギャラリーカフェ」の成功と失敗、コロナ禍でネオン食堂街をオープンさせるまでの苦労、地元カルチャーに対する古谷さんの想いを2回に分けてお送りします。

第1回は、アメリカ村でギャラリーカフェを経営し、地元カルチャーを作ってきた経験についてお送りします。

 

この記事の目次

 

2021年3月 心斎橋PARCOに“心斎橋ネオン食堂街” オープン

「TANK酒場/喫茶」は、大阪の地下鉄御堂筋線「心斎橋駅」を出てすぐ、心斎橋PARCO 地下2階の心斎橋ネオン食堂街にあります。

お店のある心斎橋ネオン食堂街は、2021年3月に大阪を代表する“ネオ酒場”としてオープンしました。

中華料理から洋食まで様々な飲食店が25店舗集まる食堂街で、中心には吹き抜けのスペースがあり、そこに私が経営する「TANK酒場/喫茶」があります。

お店は私が経営していますが、社長というよりもマスターとしてほぼ毎日お店に出ています。

 

コロナによる計画変更で誕生した「TANK酒場/喫茶」

「TANK酒場/喫茶」のある吹き抜けのスペースは、飲食エリアの中央部分に位置します。

その中央部分の吹き抜けスペースは、当初は人が集まるイベントスペースとして開発が計画されていましたが、コロナの影響により計画が変更されました。

そのとき、私は“地元のカルチャーをわかっている人間”として食堂街の開発プロジェクトに参加しており、「吹き抜け部分の中心に約7坪のカウンターを設置し、人が集まって賑わう何かを作りましょう」と提案しました。

そして、その提案が採用され、心斎橋ネオン食堂街中央の吹き抜けスペースに人が集まる空間として「TANK酒場/喫茶」を作り、私が運営することになったのです。

 

大阪のカルチャーを発信するギャラリーカフェ

このプロジェクトに私がお声がけをいただけたのは、私自身のキャリアが関係しているのだと思っています。

1992年、私はアメリカでカフェとギャラリーが併設されているお店を見て、非常に興味を惹かれました。そして、いつか自分でも文化を発信できる“ギャラリーカフェ”をやりたいと思いながら日本へ帰りました。

その後、ある方から「大阪のポップカルチャーの聖地であるアメリカ村でお店をやらないか」と言われたことがきっかけで、“ギャラリーカフェ”を開業することになりました。

お店には2部屋分のスペースがあり、1部屋をカフェとして運営し、もう1部屋をギャラリーとして貸し出すことにしました。

90年代の当時、大阪市内の一般的なレンタルギャラリーはかなり高額でした。
一方で、私が運営するレンタルギャラリーの目的は「若い人たちと一緒に地元カルチャーを発信していくこと」でしたので、ギャラリーの利用料金は若い方でも個展を開きやすい価格に設定しました。

 

ギャラリーカフェのプロモーションと集客の効果

経営視点では、ギャラリーカフェの営業活動の柱はカフェである一方、ギャラリースペースはお店のプロモーションや集客を目的したスペースと位置付けていました。

当時はインターネットも普及していませんので、ギャラリーを利用していただく場合には、個展を開いてくれるアーティストが自ら招待用のDMを作成し配布します。

当然そのDMにはお店の名前や場所が記載されていて、DMを配布するとお店の情報も一緒に配布されることになりますので、アーティスト自身がお店のプロモーションに貢献してくれている形になります。

週に1回のペースでも個展が開催できれば、アーティストのDMにより店の認知度も上がり、相乗効果で私たちのビジネスも拡大すると考えていました。

実際に、ギャラリーを運営することによりアート業界でもお店の認知度が高まっていきました。

 

好調でもギャラリーだけのコミュニティには魅力を感じない

そして、私のギャラリーカフェではユニークな活動が行われているという評判が高まり、ライブの開催を希望する人や様々なカルチャーイベントを企画したいと考える人が現れるなど、多くの人に興味を持っていただけるようになりました。

であれば、「ギャラリーだけを運営すれば良いのではないか?」と思われるかもしれませんが、それだけでは私にとって魅力的な場所にはならないのです。

なぜならギャラリーだけを運営すると、そこで形成されるコミュニティが一定の同じような分野・属性の人たちだけが集まったものになってしまうからです。

私は「アートってようわからんけど、これ良いな」という人たちも含めて、いろいろな分野の人たちが一緒に集まれるコミュニティに魅力を感じます。その方が、有機的に人と人とが繋がって、さらに、人が人を呼ぶ循環が生まれると思います。

 

第1回はアメリカ村でギャラリーカフェを経営し、地元カルチャーを作ってきた経験についてお送りしました。
次回は、コロナ禍での大阪心斎橋PARCO ネオン食堂街の出店の苦労と、地元カルチャーに対する想いについてお送りします。

 

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執筆 横山 聡

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