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お店ラジオ 2023/06/28 2024/03/14

ベトナムでピザ屋!?お客様の第一の目的地になるお店作り

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「お店ラジオ」は、店舗経営にまつわるトークラジオ番組です。小売店や飲食店など各業界で活躍するゲストをお招きし、インタビュー形式でお届けしています。この記事は、InterFMで毎週日曜日にお送りしている「お店ラジオ」で放送された内容を未公開放送分も含めて再編集したものです。

今回のゲストは、人と人とが繋がり、幸せになれるお店づくりを目指して、ベトナムで40店舗のピザチェーン店「Pizza 4P’s」を経営する代表取締役社長兼CEO 益子陽介さんと、副社長 益子早苗さんご夫婦です。

人と人とが繋がり、幸せになれるお店づくりを目指してベトナムで起業、そしてテクノロジーの活用による店舗経営とインドへの海外進出、東京への凱旋出店までを3回に分けてお送りします。

第1回は、益子さんとピザとの出会いからベトナムでのピザチェーン店「Pizza 4P’s」開業までをお送りします。

 

この記事の目次

 

ピザとの出会いは自宅の庭に作った“ピザ窯”だった

私たちは、ベトナムで「Pizza 4P’s(ピザ フォーピース)」というピザチェーンを経営しています。2011年にベトナムのホーチミンに最初のお店を出店しました。現在はベトナムに40店舗あって、そのうちフルサービスのレストランが30店舗あります。

私がピザと関わりを持ったのは、東京に住んでいた頃、練馬の自宅の庭にピザ窯を作ったことがきっかけでした。元カノから「ピザ釜を作ってプレゼントして」と頼まれ、CMの制作会社に勤めていた友人と一緒に作りました。

ピザ窯を作ってからは人を呼んでピザパーティーを開いたり、子供たち向けのワークショップを開催したりしていました。

そうしているうちに、友人はすっかりピザにハマり、ピザ職人に転身しました。
私も彼と一緒にピザ屋を開く話もしていましたが、当時はサイバーエージェントに勤めていたため、なかなか実現することができませんでした。

 

小さなきっかけを掴みたくてベトナムへ赴任。ベトナムの地に魅了され起業を志す

実は、大学生の時に親友が自ら命を断ってしまいました。

それ以来、私は慢性的に鬱っぽくなっていましたが、自宅の庭のピザ窯でピザを作ったり、パーティーやワークショップなどを開催して人を喜ばせることには夢中になれていると気づきました。そこから私は良い方向に変わることができたと思います。

その後、サイバーエージェントがベトナムにオフィスを設立することになった時に、自ら手を挙げてベトナムに赴任することにしました。私はベトナムへ行き、何か小さなきっかけを掴みたいと思ったのです。

ベトナムへはサイバーエージェント・ベンチャーズという投資部門の設立のために来たのですが、生活するうちに徐々にベトナムに魅了され「自分で事業を始めたい」と思うようになっていました。

しかし、ベトナムに行ってすぐにピザ屋を始めたわけではありません。本当にピザで良いのか、ベトナムで良いのかを1年くらいシンガポールやカンボジア、インド、ヨーロッパなどを回りながら考えました。

 

ベトナムの文化や外食産業の市場動向が起業の決定打に

当時、手持ちのお金が1,000万円しかありませんでしたので、ランニングコストなどを考えると500万円ほどしか使えません。500万円でお店ができる国は限られていますし、伝統的なナポリの生地を使ったピザ屋にしたいと思っていましたので、それが受け入れられる土壌がある国が条件でした。

その点、ベトナムは昔フランス領だったこともあってパン文化が根付いており、朝からバインミーというパンを食べる習慣がある国でした。また、ピザハットが伸びてきている時期でもありました。

さらに、ベトナムでレストランを見渡してみると、高級路線や少し良いレストランがほとんどなく、今後はファーストフードではないクオリティが高いピザが流行るのではないかと思い、ベトナムで事業を始めることにしました。

 

“フレッシュなチーズが手に入らないなら作ればいい” 独学でのチーズ作り

出店にあたって、練馬の自宅で一緒にピザ窯を作った友人であるピザ職人が手伝いに来てくれ、一緒に強みを整理しました。

ピザは大きく3つの要素からできており、焼き方を含めた生地、ソース、チーズが重要です。友人は日本でも有名なピザレストランでピザ職人をしていたため、生地づくりやソースには自信を持っていました。

肝となるのがチーズで、日本のピザ屋さんの場合、食材原価率の50%ぐらいがチーズです。これをなんとかすることが重要だと思い、ベトナムでフレッシュチーズを探しましたが、当時は2週間に1回くらいしかイタリアからチーズが運ばれていませんでした。

この物流状況ではフレッシュなチーズを常時提供できないし、輸入コストもかかるため、チーズは自分たちで作るのが一番手っ取り早いだろうと考えました。

モッツァレラチーズは水牛から作るのですが、ベトナムには水牛がいると聞き、まずは水牛を探すことにしました。ベトナムだけではなく、タイの牧場も訪問しましたが、結局ベトナム中部の水牛牧場を訪問して買うことになりました。

そして、チーズ作りはイタリア人が作っている様子をYouTubeで見て、独学で勉強しました。

 

ピザレシピのアフィリエイト!? 「みんなのレストラン」を作りたい

現地の方に来てもらえるようなお店にしたいとは考えていたのですが、私たちはベトナムで育ってきたわけではないので、どのような味が美味しいと感じてもらえるかを調査する必要がありました。

例えば、カフェで隣に座った方がお店のターゲットとなりそうな方だと思ったら、その場で仲良くなって「試食会を開くからぜひ感想を聞かせてよ」と招いたりもしました。自分たちの試作品に対して現地の方の味覚でABテストを繰り返し、お店で出すメニューを検討していったのです。

私たちのレストランには専任のシェフがいないため、このように現地の方の感想を聞くことや、様々な専門家にも相談しながらメニューを決定していきました。

また、当時は通常のメニューの他にオープンソースのレシピを提供する、Wikipediaのようなイメージのピザレストランを作りたいという思いもありましたので、お店の名前は「Platform of Personal Pizza for Peace」と名付けました。

具体的には、誰かが作成したレシピのピザがメニューに掲載され、それが売れれば、作成者に報酬が還元される仕組みです。この方式だと、最終的には美味しいピザだけがメニューに残るはずで、「みんなのレストラン」を実現できると考えていました。

最初はこのシステムを運用していましたが、日々の運営が忙しくなってくるとどのピザがどれだけ売れ、その報酬をどのくらい支払うかというオペレーションが追いつかなくなってしまったため、途中で中止せざるを得なくなってしまいました。しかし、今でもその企画自体は面白いと感じています。

インターネットの発想を持ち込み、メニューを1人で決定するのではなく、民主的に大勢で決定することでより優れたメニューが生まれるのではないかと考えた企画でした。

 

第一の目的地になるようなお店作り。集客は、出店までの記録を発信したブログだった

物件を選ぶのも大変でした。ここはベトナムで、もちろん土地勘がないので、何百件もの物件を訪ねました。

選んだ場所は人通りが少ない裏路地の物件だったのですが、そもそも私たちの考える成功は、お客様の第一の目的地になるほどの魅力を持つ店を作らないと難しいだろうと考えていましたので、最初からそういった場所で店を開くことにしていました。

加えて、家賃も低く、万が一失敗してもリスクは小さいというメリットもありました。ただ、お店の場所は裏路地ではあるけれども、町の中心エリアに行くにはアクセスが良い場所であることにはこだわりました。

裏路地で分かりにくいお店への集客は、100%インターネットからで、具体的にはツイッターとブログでした。

当時はブログの時代ということもあり、牛を探しに牧場へ行ったり物件を探し回ったりする様子を、記録の意味も込めて私の個人ブログで情報発信していました。一時期はアメブロのベトナムでの日本人ブログ1位になったこともありました。未経験の人がベトナムでいきなりピザ屋を始めるとう内容が非常に面白がられたのだと思います。

ベトナムの日本人ブログランキング上位の方たちも興味を持ってくださり、私たちについて記事にしてくださっていましたので、ありがたいことに、現地の方から「お店はいつできるの?」とお店がオープンする前から問い合わせをいただいたこともありました。

 

第1回は、益子さんのピザとの出会いからベトナムでのピザチェーン店「Pizza 4P’s」開業までをお送りしました。
次回は、ベトナムの文化や国民性が障壁となったマネジメントについてと、コロナ禍で始めたデリバリーについてお送りします。

 

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執筆 横山 聡

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