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「お店ラジオ」は、店舗経営にまつわるトークラジオ番組です。小売店や飲食店など各業界で活躍するゲストをお招きし、インタビュー形式でお届けしています。この記事は、InterFMで毎週日曜日にお送りしている「お店ラジオ」で放送された内容を再編集したものです。
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#115 人気ラーメン店「AFURI」 行列の理由&潰れないお店の作り方
今回のゲストは、かつてラーメン四天王として注目を浴びた中村屋の2号店として厚木市の阿夫利山の麓にオープンしたZUND-BARを引き継ぎ、恵比寿にAFURIをオープン。「儲かるお店よりも潰れないお店づくりを目指す」、「自分がこの場所で店を構えることに価値がある」という独自の経営哲学で、コンパクトで機能的なお店づくりや、出店を進めるAFURI株式会社 代表取締役 中村 比呂人さんです。
AFURIを創業するに至った経緯や一度離れたラーメン店から再び挑戦したラーメン店の経営、潰れないお店づくりのための店舗経営や出店戦略、味の一貫性の確保、そして海外展開やAFURI流値上げの秘訣など、3回に分けてお話しいただきます。
第1回は、中村屋から始まったラーメン業界、ZUND-BAR、AFURIの出店と再生についてお送りします。
この記事の目次
AFURIのスタートは弟が経営する中村屋
AFURI株式会社は、AFURIというラーメン店を中心に、現在、国内に16店舗、海外に11店舗のラーメン店を展開しています。AFURIという店名のラーメン店は、恵比寿に出店したお店が最初ですが、会社としての第1号店は、2001年に神奈川県厚木市七沢に出店したZUND-BARになります。
第1号店であるZUND-BARは私が創業したわけではありません。私がラーメン事業に関わり始めたのは、弟が経営する中村屋を手伝うようになったタイミングになります。
当時はラーメンブームで、中村屋は多くのメディアに取り上げられ、特に弟の店は“天空落とし”というユニークな湯切り技で注目を集めました。弟は「ラーメン四天王」として名を馳せていました。
中村屋の成功により、2号店を出店することになりました。私はその時点ではラーメン事業には関与していませんでしたが、2号店の出店に際し、父からの依頼を受けて事業に参加することになりました。
ラーメン業界の経験がなかった私は、中村屋で3ヶ月間修行してラーメン作りを学びました。弟が味の部分を担当し、私はマネジメントとチームビルディングに専念しました。しかし、その当時の私は、2号店が軌道に乗ったらお店を辞めるつもりでした。
第1号店ZUND-BARの始まりと成功、そしてAFURIの出店
ZUND-BARは、厚木市七沢の大山(阿夫利山)の麓に、中村屋の2号店としてオープンしました。提供するラーメンは革新的なスタイルで、しかも、山の中という立地で、マーケティング活動をほとんど行っていないにも関わらず、多くのお客様に訪れていただきました。
当時のラーメンブームのおかげで、ZUND-BARにも多くのお客様が訪れ行列ができるほどの人気になり、1日あたりの最多来客数が650人に到達した時期もありました。 しかし、弟とは途中で喧嘩別れをしてしまい、結果として私がZUND-BARを引き継ぐことになりました。それが株式会社AFURIとしての第1号店であるZUND-BARの始まりです。
その後、父から新たな店舗の出店の提案がありました。出店は私が行うことになり、店舗デザイン、パッケージ、ロゴなど全てを私が手掛け、2003年に恵比寿にAFURIをオープンしました。これがAFURIの始まりです。そしてその後、私はスタッフの育成と店舗運営を軌道に乗せた後、計画通りにラーメン業界から一度離れることができ、アメリカへ語学留学し、さまざまな経験を積む機会を得ました。
ラーメン店の経営への再挑戦
その後、約6年間店を離れていた後、再び弟から「一緒に事業をやりたい」という話がありました。私はその提案を受け、再び弟の事業を手伝うことに決めました。そして、さらにその半年後、父からZUND-BARとAFURIの経営を引き継いでもらいたいと提案がありました。
父は、当時、もし私が引き受けなければ、2店舗の初期投資は回収済みなので、店を閉じることも考えていました。私は、店舗の立ち上げや経営に多くの人々が協力してきたことを考え、店を閉じることには強い反発を感じました。
結局、私は、「最終決定権を持つ」という条件で、店の経営を引き受けることにしました。弟からの2回目の協力依頼時には、私は店を経営するつもりはないと明言して働いていましたが、再びそのような機会が訪れ、自分たちで愛情を込めて作り上げた店が戻ってくるということであれば、喜んで新たな挑戦を受け入れることにしました。
沈んだお店の再生
ZUND-BARとAFURIの経営を引き継いだものの、一度沈んだお店を立て直すことは大変で、細かな工夫や改善が必要でした。その中でも特に重視したのは、スタッフの士気を再び高めることでした。スタッフの敗北感や経営陣への不信感を払拭し、全員が一心になって味や接客、各作業や工程を見直し、改善を行いました。
その中でも特に、味の品質維持は重要でした。客足が遠のくと材料の回転が滞り、品質が低下することがあります。
私たちはそれを避けるために、例えば、チャーシューの厚さや炙り加減といった品質管理を徹底し、新鮮な商品を提供する努力をしました。売れ行きが良い時は、注文が次々と入り、食材を新鮮な状態で提供できますが、売れ行きが落ちた際には、冷却保存や小分け保存などの方法を採用し、品質の維持に努めました。
私たちは、細かな改善を積極的に行い、鮮度を保ちつつ迅速な提供を目指しました。この「塵も積もれば山となる」の精神で、細かな努力を積み重ね、お店の再生への道を切り開いていきました。
ZUND-BARの再生への道
ZUND-BARは山奥にあり、お客様が気軽に訪れるには難しい環境でした。この立地の特性を理解し、私たちは来店されるお客様一人ひとりが心から満足できるようなラーメンを提供し続けてきました。
私たちの目標は、来店されたお客様に「恋に落ちて」いただくことで、積極的な外向けプロモーションよりも、再訪を望むような体験を提供することに重点を置いていました。
お客様への配慮は、「いらっしゃいませ」という挨拶から始まります。寒い日にはブランケットを提供し、お子様連れのお客様にはフォークやプラスチック製の食器を提供するなど、細やかな配慮を行ってきました。ラーメン自体も、より美味しく、香り高く、新鮮なものを提供するために、調理の各段階で細部にわたる改善を図っています。私たちは「当たり前のことを当たり前にきちんと行う」ことを徹底しました。
経営の効率化とお客様への配慮
ラーメン店の運営において、選択と集中は欠かせません。弟が始めた中村屋は14席のコンパクトな店で、4人のスタッフでスムーズに運営できました。
一方、ZUND-BARでは、ラーメン屋らしい雰囲気を保ちつつ、快適な食事ができる広い空間を提供することを目指しました。一時的に席数を35席から45席に増やしたことで、売上を維持するためにはスタッフ数を倍増させる必要がありますので、席数を増やすことにはリスクが伴います。
また、お客様が席に着くと同時に、イライラタイマーが発動し、料理が提供されるまでの待ち時間に対する不満が生じることがあります。
長い待ち時間はイライラを引き起こすため、時には席数を減らし、店内での待ち時間ではなく、外での待ち行列を選ぶ方が、お客様にとっても私たちにとっても良い選択となることがあります。
このような経験を踏まえて、私はラーメン業態で利益を得るには18席が理想的だと考えています。席数を増やせば利益が上がると思われがちですが、実際には繁忙期やピークタイムの波が大きいほど、味やサービスの質にばらつきが生じやすくなります。席数の過剰は品質の低下を招き、結果としてお客様の満足度を下げてしまう可能性があるのです。
第1回は、創業のきっかけから、一般的ではなかったリユースマーケットの開拓戦略についてお送りしました。
第2回は、出店戦略と売ってもらうための店作り、専門化による市場開拓についてお送りします。