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お店ラジオ 2022/04/20 2024/03/14

たむけんさんの知られざる焼肉屋オープンの経緯とは!?

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「お店ラジオ」は、店舗経営にまつわるトークラジオ番組です。小売店や飲食店など各業界で活躍するゲストをお招きし、インタビュー形式でお届けしています。この記事は、InterFMで毎週日曜日にお送りしている「お店ラジオ」で放送された内容を未公開放送分も含めて再編集したものです。

今回のゲストは、「たむけん」の愛称で親しまれるお笑い芸人であるかたわら、炭火焼肉たむらをはじめとする多数の事業を手がける株式会社田村道場の代表、田村憲司さんです。

「焼肉屋をやっている」ということを知っていても、意外とオープンまでの経緯や、経営に対する考え方は知らないのではないでしょうか。
今回は「お笑い芸人 たむらけんじ」ではなく「経営者 田村憲司」について深掘っていきたいと思います。

田村さんのお話を紹介する1回目は、焼肉屋をオープンするに至った経緯です。そこには意外なドラマがありました。

この記事の目次

  1. お笑い芸人「たむけん」こと「たむらけんじ」の大人気焼肉店!「炭火焼肉たむら」
  2. 芸能人が焼肉屋に参入しても、大抵うまくいかない
  3. 焼肉屋を始めたのは、義母への恩返しのため
  4. 「じゃあ看板下ろせ」フランチャイザーと経営権争い
  5. 大ピンチ!オープン1週間前なのにタレがない
  6. 芸人として恥ずかしくて、焼肉屋をやっていることを秘密にしていた

 

お笑い芸人「たむけん」こと「たむらけんじ」の大人気焼肉店!「炭火焼肉たむら」

どうもこんにちは、炭火焼肉たむらのオーナーを務めてます、「たむけん」こと「たむらけんじ」です。
焼肉屋を6店舗経営する他、中華そばやステーキのお店があったり、レトルトカレーやポテトチップス、さらにはシャワーヘッドなんかも売っています。

 

芸能人が焼肉屋に参入しても、大抵うまくいかない

焼肉屋は、簡単だと思われがちですが、意外と難しいです。
肉の切り方ひとつで同じ肉でも味が変わりますし、ブロックから切るのかそうでないのかによっても変わります。僕も焼肉屋を始めてからたくさん勉強したのですが、奥が深いです。

だから、芸能人が軽い気持ちで参入すると大体うまくいかないのが実情です。

とてもお世話になった先輩ですが、宮迫さんの牛宮城に関しても「1年もつのかなあ…」と心配しています。
ゆうこりんが焼肉屋を始めた時も、僕のお店より繁盛してしまったらどうしようとドキドキしていたんですが、そんなこともなく消えていきました。おそらくあれは想いが乗っかっていなかったんだと思います。別にゆうこりんは焼肉屋をやりたかったわけではなくて、「なんか芸能人がお店やると儲かるらしいよ、たむけんの焼肉とかアッコさんのしゃぶしゃぶとか」という話を聞いて乗っかったのではないでしょうか。

やはり飲食は甘い世界ではないので、強い想いがなければやり遂げるのは難しいと思います。

 

焼肉屋を始めたのは、義母への恩返しのため

意外かもしれませんが、焼肉屋を始めた時、僕には芸能の仕事はほとんどありませんでした。

きっかけは、僕の元奥さんのお母さんが経営していた焼肉店を辞めたいと言い始めたことです。
じゃあそのお店をやる権利を他の人に譲ろうか、という話になったのですが、その譲り先がうまく見つかりません。そうなるとお店は閉めるしかないのかなと思ったら、それはそれで撤退コストで400万円くらいかかるということがわかり、お母さんも「それはちょっと…」となってしまいました。

お母さんはもう心が折れていたので、店を続けることもしたくないし、譲り先もない、撤退するにも大金がかかると、八方塞がりになってしまいました。
その様子を見て、僕は元奥さんの両親には本当にお世話になっていたので、「ここで恩返しするしかないんじゃないか」と思ったんです。

正直、芸人として全く成功していないのに飲食店を始めるというのは「芸で食えないから他の稼ぎでしのごうとしている」といった感覚があって抵抗があったのですが、覚悟を決めて引き継ぐことに決めました。

 

「じゃあ看板下ろせ」フランチャイザーと経営権争い

そこからはもう怒涛のスピードで動き続けました。
1ヶ月後にオープンするとだけ決めて、そこに向けて全ての準備をすることになったのです。

まずは元従業員たちへの連絡です。従業員はすでにいなくなっていたので、電話して「もう一度やるから帰ってきてほしい」という話をしました。

次に、フランチャイザーとの交渉です。実はそこのお店は準フランチャイズのような形態だったのですが、フランチャイザー側が経営権を渡すように言ってきたんです。そこで僕は「なんやねんお前ら、こっちの弱みにつけこんで」とすごく腹が立って「いや、僕がやるんで」と断ったのですが、今度は「じゃあ看板下ろせ」「タレ使うな」「仕入れ先も使うな」と言われてしまいました。

 

大ピンチ!オープン1週間前なのにタレがない

こうなるともう0から開拓するしかありません。精肉店を紹介してもらったり、加工場に行ったりして、どうにか仕入れ先を作りました。元々肉に関してなんの知識もない人間なのでとにかく必死に説明を聞いたことを覚えています。

そして、最も苦労したのはタレです。どれだけいい肉を仕入れてもタレが悪かったら全てが台無しになってしまう、というほどタレは重要です。

どうしよう、と思っているときに浮かんだのが、普段からお世話になっている韓国料理屋の社長さんでした。「そういえば、あの人は焼肉もやっていたはず」と思ってすぐに電話をして、その社長さんの元に駆けつけました。
その場にはサバンナ高橋も呼んで、うまく盛り上げてもらえないかと頼みました。

実はこの時、すでにオープン1週間前です。ここからタレを作るなんていうのはもう無理でしたから、ここでどうにかするしかありませんでした。
そしてその社長さんとの交渉の末、社長さんは「じゃあわかったよ、うちのタレ使っていいから」と言ってくださって、なんとか首の皮一枚繋がった形です。

そこのタレは美味しかったので、本当にありがたかったです。
もちろん今ではオリジナルのものを使っています。

 

芸人として恥ずかしくて、焼肉屋をやっていることを秘密にしていた

こうしてどうにかお店をオープンすることができました。
お店をやっていること自体は芸人としてのプライドから恥ずかしかったので、好きな先輩だけに事情を説明して、基本的には黙っていました。テレビでもラジオでも雑誌でも、何も言わなかったんです。

そんな生活が1ヶ月続いたころ、NGK(なんばグランド花月)の舞台上でメッセンジャーのあいはらさんが突然僕が焼肉屋をやっていることを暴露したんです。
そこからはいっきにイジリ解禁という雰囲気が流れ、ケンコバあたりが「あいつの店の並と上の違いはサラダだけや」「一番うまいのは烏龍茶や」と好き勝手言うようになりました。

お店にテレビもたくさん来ました。いやらしくなるのが嫌だったので、その時にロケに来てくれた後輩には「絶対に美味いとは言わんといてくれ」と伝えていました。すると、完全に大喜利になるわけです。それが話題になり、お店はすごく繁盛しました。
お店が狭かったこともあり、お店の前の道が溢れかえり、警察に来てもらうほどでした。

 

今回のお話はここまでです。次回は、「焼肉界のリッツ・カールトンを目指す」という、田村さんの接客へのこだわりについて詳しくお聞きします。

 

 

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執筆 アキナイラボ 編集部

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