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「お店ラジオ」は、店舗経営にまつわるトークラジオ番組です。小売店や飲食店など各業界で活躍するゲストをお招きし、インタビュー形式でお届けしています。この記事は、InterFMで毎週日曜日にお送りしている「お店ラジオ」で放送された内容を未公開放送分も含めて再編集したものです。
#49 粟田代表が語る苦戦した起業当時〜丸亀製麺オープンまでの道のり。
#50 粟田代表が語る今までとこれから
今回のゲストは、丸亀製麺を主軸に展開する株式会社トリドールホールディングス代表、粟田貴也さんです。外食チェーンの中で最速で500店舗を達成し、現在日本国内に約800店舗、海外に200店舗を展開する世界的な外食チェーン丸亀製麺。その社長である粟田さんですが、どうやら初めから順風満帆だったわけではなく、たくさんの試行錯誤を重ねて今に至ったようです。その経緯と、経営の考え方について掘り下げていきましょう。
粟田さんのお話を紹介する第1回は、焼き鳥屋トリドールをオープンするまでの経緯についてでした。
2回目は、トリドールが躍進した戦略や、丸亀製麺誕生の経緯についてです。
この記事の目次
「意外と商圏範囲が広い…?」郊外進出を決めた意外なきっかけ
ある日、警察が路上駐車を取り締まりにやって来ました。
私はお客さんがまさか車でお店に来ているとは思っていなかったのですが、1人のお客さんが「あ、路上駐車の取り締まりだ」と言って外に出て行きました。それに驚いたのも束の間、なんとそのお店にいた全員が外に出て行ってしまったのです。その場にいたお客さんがみんな車で来ていたということですね。
おそらくカップルなんかで来て、片方が運転して片方が飲んで…ということだと思うのですが、これは本当に予想外でした。確かにそこは少し駅から離れていたのですが、それまでずっと駅前にお店を構えていたので、駅から人が流れてくるイメージしかありませんでした。
この出来事をきっかけに、自分のお店にわざわざ車に乗ってやってくる人がいるということは「意外と商圏範囲は広いのでは?」と考えるようになります。お客さんと会話をしながらどこから来ているのかを確認していくと、この仮説は確信に変わりました。
そこから「駅を中心に物事を考える必要はない。場所さえ認知してもらえれば郊外でもお客さんは集まる」と考え、郊外にあった撤退したファミレスが入っていた物件を借りてみました。するとこのお店が大ヒット。
居酒屋のとある性質に着目し、家族向けのお店として売り出す
実は当時、家族で食事に行けるようなお店というのがファミリーレストランくらいしかなく、回転寿司や食べ放題の焼肉屋さんのようなものさえ存在していませんでした。だから、ここに焼き鳥屋を持ってくれば勝てるのではないかと思ったのです。
焼き鳥屋もそうなのですが、居酒屋は珍しく食べ物をシェアする業態です。ファミレスなどはセットで食事が完結しますが、居酒屋ではひとつの皿から分け合うということから、家族向きだと感じました。
そしてファミリー焼き鳥居酒屋と銘打って、トリドールをオープンし、当たったというわけです。
お金がないので上場を目指す。コンサルタント驚愕の会社状況とは?
もっとお店を出したいという欲があったのですが、資金がなかなか追いつきません。周りを見渡すと自分達よりもはるかに大きな会社がトリドールの業態をコピーしたりもしていて、このままだと負けてしまうと強い危機感を抱いていました。
そんな時、世間ではちょうどITバブルが起こっており、IPOしたIT企業が大きな資金を集めてさらなる展開に拍車をかけていました。
そんな様子を見て「我々は焼き鳥屋だけど、IPOしたらお金が入ってくるのかなあ」と、IPOの意味すら分かっていないのに、藁にもすがる思いで上場に希望を託すようになります。
自分では何もわからないので、上場支援コンサルタントの方にお願いして、そこから上場の準備が始まりました。
するとコンサルタントから、
「本社事務所もないような会社が上場なんてできませんよ」
「管理部門がないなんて最低ですよ」
「総務もなければ経理もない会社なんて存在しませんよ」
などと色々言われました。
確かに当時はお店そのものが本社のようなものでしたし、お給料などは妻が自宅の納戸で全部管理しているというお粗末なものでした。
アドバイスを受けて2000年くらいに、初めて事務所のようなものを作り、その後も4年ほどかけて色々と上場の準備を進めていくことになります。
上場にはたくさんお金がかかるので、稼いだお金が上場準備に消えていくような感覚がありましたが、「この先に夢があるんだ」と自分に言い聞かせてなんとか乗り切りました。
鳥インフルエンザの流行に戦慄、計画を白紙に戻す
上場準備を進めていた2004年ごろ、鳥インフルエンザが流行り出しました。結果的に一過性の出来事ではあったのですが、売上が本当に半減するんです。少し前にBSEで焼肉屋さんが大打撃を受けていたのを見ていたので、そのレベルの危機が我が身にも訪れたと思いました。
このまま上場するのは危険だと判断し、いったん計画を白紙にして事業の再構築について考えることにしました。
ついに丸亀製麺誕生!偶然見かけた讃岐うどん店の衝撃
時は前後するのですが、実は2000年にすでに丸亀製麺の1号店を作っていました。当時は焼き鳥屋をバンバン出していたのですが、まだ自分の中で絶対的な強みになっているという確信はいまいち持てていなかったのです。
そんな時、たまたま親戚に会いに香川県に行くと、そこでは讃岐うどんが大ブームとなっていました。県外からたくさんの人がうどんを食べにわざわざ訪れ、お店の前には長蛇の列ができています。これにはとてもショックを受けました。
自分も無い知恵を絞って一生懸命商売しているのに、こんな行列は見たことがないし県外からお客さんがくるなんて考えられません。
車で橋を渡ってくるわけですから、人によっては何千円とかけてそのうどんを食べに来るわけです。自分の自信が打ち砕かれたような思いがありました。
商品そのものだけでなく「商品を作るシーン」がお客さんを魅了している
しかし、そこは「ここに繁盛の秘訣があるに違いない」と気持ちを切り替えて、なぜ流行っているのかを観察することにしました。
すると、どうやら商品そのものがいいのはもちろんですが、それ以前の商品を作るシーンがお客さんを魅了しているということに気がつきます。それまで私は美味しいものを作ってお客さんにお出しすることが全てだと思っていたのですが、それ以外にも重要なポイントがあったのです。
それに気がついてからは、我々も作るシーンにポイントを置いたお店を作れば同じような行列ができるのではないかと思いました。
しかし、その当時は上場の準備を進めている真っ最中です。そんな時に社長が急にうどん屋をやり始めるということになると、疑問が湧いてしまうとは思ったのですが、どうしてもやりたくなってしまいました。そして丸亀製麺を試しに出店してみたところ、これが大繁盛になったのです。
先ほども話した通り、BSEが焼肉屋に打撃を与えたように、鳥インフルエンザで焼き鳥屋も同じ状況になるのではと怯えていたので、軸足を移すことを視野に入れていました。
そこで丸亀製麺にスパッと移り変わればかっこいい話なのですが、まだ1店舗が成功しただけだったので、トリドールに代わって主軸になれるだけのものなのかはまだ自信がありませんでした。
そこでひとまず丸亀製麺の店舗を1つずつ増やしていくことにし、お金がないながらも色々と工夫して出店していくことになります。
今回のお話はここまでです。次回は、丸亀製麺がフードコートで成功した理由や、海外出店、経営哲学についてです。