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「お店ラジオ」は、店舗経営にまつわるトークラジオ番組です。小売店や飲食店など各業界で活躍するゲストをお招きし、インタビュー形式でお届けしています。この記事は、InterFMで毎週日曜日にお送りしている「お店ラジオ」で放送された内容を未公開放送分も含めて再編集したものです。
今回のゲストは、バーやお好み焼き屋、テイクアウト&デリバリー、ゴーストレストランなど新しいスタイルでの飲食店を展開されている株式会社祐貴那 代表取締役社長のはるな愛さんです。はるな愛さんが上京して最初のバーを出店されてから子ども食堂を展開されるまでを3回に分けてお送りします。
第1回は、上京からバーの出店、“エアあやや”の誕生までをお送りします。
この記事の目次
店舗経営の始まりは小さな居抜き物件を探すところからだった
株式会社祐貴那は、現在、鉄板焼き・お好み焼き屋など4店舗を経営しています。
普段、はるな愛としてタレントや歌手などの活動もしている私ですが、会社にいる時はすっぴんで、心意気は大西賢治でやっています。
私は、両親がお好み焼き屋やお惣菜屋を営む大西家の長男として、大阪で生まれました。大阪では、ショーなどを行うお店で働いていましたが、あるとき、そのお店のママを説得し上京することを決めました。
上京してからは、仕事もなかなかうまくいかず悩んでいましたが、いよいよ生活が苦しくなってきて、働かなければならなくなっていました。しかし、私はかつて働いていたお店のママを説得し、上京することを決めましたので、東京のお店では絶対に働かないと決意していました。そこで、自分でお店をやるのであれば問題ないと考えて、物件探しを始めました。
当時、私は東京の池尻に住んでいて、自転車で周辺を探索しながら、お店が出せそうな物件を探していました。ある日、いつも通る道沿いにある不動産屋の張り紙で、三軒茶屋の居抜き物件の情報を見つけてそのまま契約することにしました。
初期費用は40万円、月々の家賃は6万7,000円、店内はカウンターだけで、7人も入れば満席になるほどの小さな店舗でした。雰囲気的にはバーというよりも、アパートのワンルームを改造したようなお店でした。
自分でも認めたくないコンプレックスであるニューハーフとして集客に挑む
新しく始めるお店のスタイルはバーにしました。
以前働いていた大阪のお店では1日に6回も着替えてショーに出演していましたが、それが実は嫌でした。ニューハーフであることを人に言うのも嫌だったため、東京へ出てからは女の子としてゼロからスタートしたいという想いがありました。
三軒茶屋は、いろいろなお店があり、可愛いキャバクラもある賑やかなエリアですが、オープン当初の私のお店はお客さんの来ない店でした。そのうえ、誰もいないお店にお客様を迎えることが恥ずかしいという変なプライドも持っていました。こう見えて私は意外と人見知りなのです。
営業時間中であるにも関わらず、お客さんが来ないから鍵を閉めてカウンターの上で寝ていたこともありました。でも、ガラガラでもたまにお店に入ってくるお客さんはいますので、そんな時は息を殺してじっとしていました。他にお客さんが誰もいない店で、どうやってお客さんを迎えれば良いのかがわかりませんでしたし、私自身がお客さんにどのように見られるのかわからないという不安もありました。
お客様が来ず、いよいよ本当に生活できなくなってから、私はようやく自分が何者なのか、自分の強みは何であるのかを考えるようになりました。その時、私は自分自身が一番嫌いであり、自分でも認めたくないコンプレックスである“ニューハーフ”として接客すれば、お客さんに来てもらえるのではないかと考えるようになりました。
自分の強みを活かすためのカウンターの中のショータイム
それからは、来店されたお客様と会話を楽しむことに努めました。男の声で話してみたり、マシンガントークで喋ってみたり、ショータイムを披露したりと、いろいろなことに挑戦しました。
その結果、「おもしろい」と言ってくださるお客様が徐々に増え、お店の歯車が動き出しました。お店にはカラオケも置いてあるので、歌ったり、大好きだったブリトニー・スピアーズの曲をかけて1人で踊ったりしていました。
店内にステージはないので、カウンターの中にある個別スイッチ付きの電源タップにクリップライトやミラーボールを繋ぎ、目の前に扇風機を置いて、カウンターの中でステージのように踊るのです。
ショータイムが始まると、扇風機をつけて髪をなびかせたり、狭い場所でのけぞってみたり、肘をぶつけたりしながら、最後には「今日はありがとうございました」と言ってセリ下がりのようにカウンター内で下がる演出を行っていました。
このようなショータイムがお客様に面白がっていただけるようになったことで、有名人も訪れてくださるようになり、売上も上がっていきました。
「言うよねぇ〜」の誕生は愚痴対応から
バーをやっていると、お客さんの中には会社や家庭の愚痴を言う方もいらっしゃいます。
お客さんにはみんなに楽しくお酒を飲んでもらいたいと思っていますが、小さなバーなので、会社や家庭の愚痴を言われると、お店が一気に愚痴を言うお客さんの空気になってしまうのです。
正直、お店がそういう雰囲気になるのが嫌だと思っていましたので、お客さんの愚痴に対して、どのように対応したら良いかを考えていました。
そして、ある時、お客さんの愚痴に合わせて、「言うよねぇ〜」「愚痴るよねぇ〜」と返したのです。
すると、そのお客さんも他のお客さんもみんな笑ってくれました。そのとき、これだと思って、そこからはずっとお店で言うようになりました。私がテレビなどでも使っていた「言うよねぇ〜」は、お店の愚痴対応から生まれたフレーズだったのです。
私がテレビに出始めた当時は、芸能人がお店をやってもうまくいかない雰囲気がありました。でも、今までいろいろ経験させていただきましたが、飲食は芸能と同じでエンタメだと思いました。ですから、芸能の仕事が飲食の仕事に生きています。
喋れない半年の間で生まれた“エアあやや”
お店がオープンしてしばらくしたあるとき、全く声が出なくなってしまいました。朝起きたら声が出なくなっていて、病院で診察を受けると、「慢性のポリープで声帯にしこりができています。これは手術できないので、半年間は喋らないようにしてください」と告げられました。私はかすれ声すら出なくなり、営業も筆談で行うようになりました。
話せないため、お店も以前のような賑わいがなくなり、しだいに客足も遠のいていきました。それで、どうしようかと悩んでいたのですが、いつも好きだった聖子ちゃんや松浦亜弥ちゃん、ブリトニーなどのMCを思い出しました。
そこで、おもちゃのマイクを使って、お客様の前で口パクをしてみたのです。
例えば、「今日の朝、9時に起きたんですね〜」といった感じです。それを見たお客さんは楽しそうに笑ってくださいました。このようにして、“エアあやや“のネタが誕生し、エアあややはお店の人気のショーになりました。
私がびっくりしたエピソードとしては、矢部さんがつんくさんを連れて来てくださった事がありました。そして、「あややを見たい」と言われたのです。私があややの真似をすると、つんくさんと矢部さんたちは大声で笑ってくださいました。
第1回は、上京からバーの出店、“エアあやや”の誕生までをお送りしました。
次回は、お好み焼き屋の出店についてお送りします。