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「お店ラジオ」は、店舗経営にまつわるトークラジオ番組です。小売店や飲食店など各業界で活躍するゲストをお招きし、インタビュー形式でお届けしています。この記事は、InterFMで毎週日曜日にお送りしている「お店ラジオ」で放送された内容を再編集したものです。
今回のゲストは、「仕事を通じて人間が成長し、売る商品も共に成長していくこと」を理念として、2012年に設立し、愛知県を中心に展開するイタリアンレストラン「ピッツェリアブル」、パン屋「パンのトラ」、ジェラート店「ジェラートラ」などのブランドを運営する、株式会社トラムスコープの代表取締役社長 加藤敦揮さんです。
愛知でイタリアンレストランを開業後、フォカッチャの成功をきっかけにパン屋事業へ進出。独自の立地選定戦略と大型パン屋開業、ギネス記録達成、顧客との強い絆を築き、パンの品質とサービス革新に注力して業界での成功を収めた株式会社トラムスコープの物語を3回に分けてお話しいただきます。
第1回は、トラムスコープの由来と巨大パン屋の出店戦略、巨大パン屋の成功の秘訣についてお送りします。
この記事の目次
株式会社トラムスコープ
株式会社トラムスコープは、愛知県安城市に本社を置く企業で、パンの製造および販売を行っています。また、イタリアンレストランの運営や、ジェラートを含む菓子類の製造および販売も手掛けています。
2007年に安城市でイタリアンレストラン「ピッツェリアブル」を開業したのがスタートで、2012年には、株式会社トラムの子会社として、新設分割により株式会社トラムスコープが設立され、ピッツェリアブル安城店、パンのトラ安城店、パンのトラ半田店の事業を承継しました。
私たちは、「仕事を通じての人間成長を願い、自分たちが提供する商品も、自分たち自身と共に成長すること」を理念に掲げ、事業を展開しています。主な店舗には、ピッツェリアブル、パンのトラ、ジェラートラなどがあります。2022年4月15日には、パンのトラ春日井店が新たにオープンし、現在は愛知県内でパンのトラを6店舗運営しています。
ドラムスコ・コーポレーショント
私は、地元でミスタードーナツとモスバーガーのフランチャイズを経営する父のもとで育ち、幼少期から「社長の息子」と呼ばれていました。若い頃はその肩書きに対してネガティブな感情を持っていましたが、自身の会社を立ち上げる際には、この事実は変えられないと受け入れ、会社名を「ドラムスコ・コーポレーション」の略称である「トラムスコープ」と名付けました。
私の起業家としてのキャリアは、愛知県安城市でイタリアンレストランを経営することから始まりました。19時くらいになると車の通りもほとんど無くなってしまうような田舎でのイタリアンレストランは、夜間の集客が難しく、大変苦労しました。
そんな中、私はディナータイムに来店した客へのサービスとして食べ放題のフォカッチャを提供し始めました。元ピザ職人である私にとって、パン製造は得意分野で、このフォカッチャは大変な好評を得て、それが現在のパン屋事業へとつながるきっかけとなりました。
業界の巨大化と新たな事業への転換
愛知県のイタリアンレストランでアルバイトをしていた頃、通勤中に、路上の巨大なパン屋が目に留まりました。当時、焼肉屋や金物屋がチェーン店や大型ホームセンターへと変化する業界の大型化の波を目の当たりにし、「パン屋業界でもこれが可能か?」と考えさせられました。この経験は、私のビジネス観に新たな視点をもたらしました。
当時、多くの業態が大型化の波に乗っていましたが、パン業界はまだその流れを追っていないと感じていました。しかし私は、いきなりパン屋を開業するのではなく、長期的な視点でレストラン経営を先行させる方が戦略的だと考え、イタリアンレストランから事業をスタートさせることにしました。
しかし、レストランを経営していく中で、店が満席になるとそれ以上の売上を上げる手段が限られてしまうことに気づきました。この点は、レストラン業界の当たり前の事実ですが、実際に経営をして初めて実感しました。
私は、夜の集客不足を補うためにフォカッチャを提供し始め、レジでロールケーキなどのテイクアウト商品を販売しました。この戦略が功を奏し、イートイン売上に比べてテイクアウトの売上が倍増するという驚異的な結果をもたらしました。この成功を踏まえ、私はテイクアウト事業の潜在力を感じ、パン屋業界への進出を決めました。
巨大パン屋事業の挑戦と成功
巨大なパン屋を開業した際の設備投資は、レストランと比較すると驚くほどの額になりました。約15年前、機械設備だけで約5,000万円かかり、総投資額は約1億5,000万円にもなりました。
店舗の面積は、建物自体が100坪、駐車場を含めると約900坪になります。この規模のパン屋を運営することは、相当なリスクを伴う挑戦でした。もし挑戦が失敗したら、「人間をやめる」くらいの覚悟をしていましたが、成功の見込みはありました。
私は、以前経営していたイタリアンレストランでの失敗から学び、その教訓をパン屋運営に活かしました。時折、妻と昔を振り返り、笑って「たこ焼き屋から始めていたら、もう少し楽だったかもしれないね」と話すこともあります。
パン屋の事業において、初期投資額が1億5,000万円だったことは、大きな挑戦でした。この投資を回収するためには、月間売上が約2,000万円であれば良いと見込んでいましたが、開店した際には予想を超える月間3,000万円以上の売上が初月から達成されました。
通常、この実績をもって順調と判断するかもしれませんが、過去のイタリアンレストラン経営の経験から、私は開店後3ヶ月経過してからその実績を評価することにしています。その後、さらに3ヶ月待って6ヶ月が経過し、最終的に9ヶ月、そして1年が経過しても、売上が3,000万円を下回ることはありませんでした。
厳格な父親から受けた英才教育
大型パン屋の出店やプロモーション戦略は私が決定していますが、幼少期の父親の教育に影響を受けているように思います。今、振り返ってみると、私は父親から経営に関する英才教育を受けていたと感じていて、厳しいながらも、多くのことを学びました。
特に、郊外のロードサイドで一等地を見つける方法については、幼い頃から無意識のうちに学んでいたようです。具体的には、父が経営する店舗を車で巡る際、時折、私も同行しました。私たち親子の関係は非常に厳格で、父が何かを言うと、私はただ黙ってうなずくのが常でした。車内では、「おはようございます」と敬語で話しかけるものの、父からの返答はほとんどありませんでした。
しかし、そのような関係の中でも、移動中に父から突然「この交差点では、どの角に店を出す?」という質問が投げかけられることがありました。これは、交差点の4つの角のどこに店を出すかを考える訓練でした。間違った答えを出すと、「お前は馬鹿か」と叱責され、「いつも何を見ているのだ」と延々と説教されました。ただし、正解を出しても特に褒められることはなく、常に高い基準が求められました。
交差点経営学〜最適な出店ロケーションの選定〜
例えば、北行きと東行きの道が交わる交差点において、北から南へ運転している車に対して、最も好ましい店舗の立地は、交差点を越えた直後の左側の角です。
一見、信号の手前がアクセスしやすいと思えますが、実際には信号手前で車が減速するため、後続車の圧力により、店舗への入店が困難になりがちです。また、駐車場から道路への出入りも難しくなるため、信号が緑の場合は速度が出ている車に注意が必要であり、赤の場合は停車している車列に割り込む必要があるため、特に出入りがしにくくなります。
一方で、車の進行方向の信号を越えた場所、つまり地図上で左上に位置する角では、進行方向の信号が赤である場合、駐車場からの出入りが格段に容易になります。従って、交差点において最も望ましい立地は左上の角と言えます。
加えて、幼少期に学んだ「町は南側に発展する」という原則は、実際に郊外の町を観察するとその通りであり、特に旧市街地の南側が新たに発展しているケースが多く見られます。これは愛知県に特有の傾向であって、日本海側では逆の傾向が見られるかもしれません。発展の方向性は海に面した側に向かう傾向があると考えられます。
第1回は、トラムスコープの由来と巨大パン屋の出店戦略、巨大パン屋の成功の秘訣についてお送りしました。
第2回は、独自の立地戦略と顧客エンゲージメント、地域との絆とギネスへの挑戦についてお送りします。