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「お店ラジオ」は、店舗経営にまつわるトークラジオ番組です。小売店や飲食店など各業界で活躍するゲストをお招きし、インタビュー形式でお届けしています。この記事は、InterFMで毎週日曜日にお送りしている「お店ラジオ」で放送された内容を未公開放送分も含めて再編集したものです。
今回のゲストは、“世の中の体温をあげる”をコンセプトにスープ専門店を展開する株式会社スープストックトーキョー代表取締役の松尾さんです。物語のある思いのこもった商品づくり・お店づくりを行い、多くの女性に親しまれる店舗経営についてお送ります。
この記事の目次
”Soup Stock Tokyo”の誕生秘話
株式会社スープストックトーキョーの代表取締役を務めています松尾真継です。現在は私が同社の代表取締役を務めていますが、”Soup Stock Tokyo”の創業者は、元々三菱商事に勤めていた遠山正道です。
彼は、三菱商事で建築や不動産関係の大きな仕事をしていましたが、彼自身もアーティスト活動をするなどアートが好きで、建築や不動産関係の仕事よりも手触り感のある仕事がしたいと思い、日本ケンタッキー・フライド・チキン株式会社に出向しました。
そこで彼は、スープのファストフードというアイデアを思いつきました。
彼がスープや汁物が大好きだったということや、雑誌で男性向けのファーストフードとしては駅の立ち食い蕎麦屋やラーメンなどがありますが、女性が1人でも食べられるファーストフードが少ないという記事を読んでアイディアを思いついたそうです。そして、女性でも1人で温かいものを食べられるシンプルなお店を作ろうと、多忙な中で企画書「スープのある一日」を書きました。
遠山が作成した企画書「スープのある一日」は、1店舗あたりの売り上げがいくらで、何年後には何百店舗まで拡大していますという数字だけの一般的な事業計画ではなく未来の姿を描いた物語でした。
企画書には、オフィス街のランチでスープを食べている女性、“秋野つゆ”さんの日常の様々なシーンでの「スープのある一日」が描かれています。
その他にも、例えばJALの機内食に採用されている未来や、店舗が50店舗になっていて、店舗ビジネスや飲食ビジネスの枠を超えて、共感してくださる多くのお客様と一緒に様々な活動ができている未来などを描いたのです。
さらに、”Soup Stock Tokyo”が人々の生活の中でどのように新しい価値観を生み出し、どのように共感していただくのか、そして、ブランドとしてどう過ごしていくのか、社会の中でどういう存在になりたいのかなど、遠山の思いが企画書に込められていました。
その結果、企画が認められ、三菱商事やケンタッキーの時にご縁をいただいた関係で、1999年、当時開業したお台場のヴィーナスフォートに“Soup Stock Tokyo”第1号店をオープンしました。それが、”Soup Stock Tokyo”の始まりです。
他のファストフード店にない”Soup Stock Tokyo”のスタイル
遠山自身は、マーケティングが好きではありませんでした。世間の流行を見ながら、あれとこれを掛け合わせて何かを作るということを嫌う人で、オリジナリティのある独自のものをシンプルに作っていきたいという気持ちの強い人でした。一般的に商品は美味しそうな色を使うものが多いと思いますが、そこを押し出すのではなく、シンプルでいいじゃないかと。
ロゴ一つとっても、創業者の遠山自身が書いたものですし、白黒の非常にシンプルなロゴです。1999年当時、飲食店で白黒のロゴを使っているのは、おそらく“Soup Stock Tokyo”だけだったのではないかと思います。さらに、お店に関してもシンプルな造りにして、商品にはこだわった本物のスープを提供することにしました。
ですから、商品は安く売らなければならないとも考えておらず、ファストフードだけれども、商品を注文いただいてから提供までをスピーディーに行うという点以外は他のファストフードの真似をするという考えが無く、オリジナルを作るということだけを考えていました。
流行に流され空気を読んで作るよりも、自分が本当にいいと思うものを思いきり投げ込むスタイルなのです。そして、そういった理念の象徴が“秋野つゆ”さんです。
”秋野つゆ”という人格は、遠山が最初に書いた企画書の中に描かれていた人物ですが、彼女は“Soup Stock Tokyo”がターゲットとして設定している架空の人物で、性格や趣味、さらに彼女がどのような生活を送り、どのような生活を目指しているかまで細かく設定しています。
我々は、店づくりや商品づくりなどを決める時はもちろんですが、あらゆる判断を”秋野つゆ”さんを基準に決定しています。
彼女は“Soup Stock Tokyo”のペルソナと言われることがありますが、創業者の遠山の人格でもありませんし、私の人格でもありませんし、ペルソナでもありません。”秋野つゆ”さんは“Soup Stock Tokyo”のブランドそのものを表す人であり、お店と一緒に育ってきたと思っています。
2、3店舗目はまさかの大失敗!?
1999年、お台場ビーナスフォートに第1号店を出店したとお話ししましたが、第1号店は新しい施設で魅力もありましたし、その中でも目立っていましたので売り上げは好調で、出店は成功でした。しかし、2店舗目と3店舗目は遠山本人も冷や汗をかくほど失敗しています。
最初にお話しした遠山がプレゼンした企画書には、オフィス街でのランチにスープを食べていただくシーンが描かれていて、そのシーンのとおり赤坂のオフィス街にお店を出したんです。ところが、ランチの時間帯は期待通りにお客様に来ていただけるんですけれども、それ以外の時間帯には、お客様に来ていただけませんでした。
スタッフの中にモデルやアーティストがいて、夕方遠山が店舗にいくと階段に座ってギターを弾いていたこともあったようです。ランチの時間帯以外はそれくらい暇だったんです。しかし、お店としてはランチのためとはいえ高い家賃を払わなければならないわけですから、大きな投資をして家賃を払い続けるものの全く回収ができない状況になってしまい、2店舗目と3店舗目は大失敗してしまいました。
そうした成功と失敗の試行錯誤を経て、現在のように駅ビルとか駅ナカと呼ばれる施設にスープストックトーキョーを出店するようになって、そこから売り上げが伸びていったんです。
駅だと朝も昼も必ず人が通ります。さらに駅に出店を始めた当時は、ファッションやショッピングセンターとしての機能が関ビルに追加され、駅自体が活性化されていった時期でした。
そうした背景もあって、駅の近くで女性が1人でも食べやすく、温かい”スープ”を簡単に気軽に食べられるお店ということで、“Soup Stock Tokyo”が定着していきました。
実はこれも遠山が描いていたシーンで、女性が1人でお店のカウンターでさっと食べることできるお店づくりを目指していましたので、そういったスタイルと立地や商品がマッチしたんだと思います。
美味しさとスピードを提供するお店
“Soup Stock Tokyo”はスープがメインであり、決して単価が取れる食べ物ではありません。アルコールなど他のものをどんどん頼んで単価を上げるスタイルではないんです。原価率も、一般的な飲食店ですと20%後半だと思いますが、我々は35%から商品によっては40%近い原価のものもあります。
他の飲食店に比べて高い原価率で、しかも1,000円ほどの客単価のお店でどのように利益を出していくかは大きな課題ですが、売り上げを上げていくためには、回転を上げていくことが大切だと考えています。
お客様にとって駅ビルや駅ナカは移動や買い物にいらっしゃる場所ですから、お客様もゆったりと食事をしたいのではなく、短時間で美味しいものを求められています。ですから、そういったお客様のニーズに応えるために、スタッフは徹底したトレーニングをしていますので、駅ナカの行列ができるようなお店であっても、しっかりとコントロールできています。
また、家賃が高い駅ビルにお店があること自体が広告にもなると考えていますので、販促や広告などプロモーションではなく、クオリティの高い商品づくりにお金をかけています。