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「お店ラジオ」は、店舗経営にまつわるトークラジオ番組です。小売店や飲食店など各業界で活躍するゲストをお招きし、インタビュー形式でお届けしています。この記事は、InterFMで毎週日曜日にお送りしている「お店ラジオ」で放送された内容を未公開放送分も含めて再編集したものです。
今回のゲストは、“着る人の夢を叶えるオーダーメイドスーツ”をコンセプトにオーダーメイドスーツ専門店を展開する、株式会社muse代表取締役の勝さんです。
「人の夢を笑わない 心の才能を養う場所」人生に寄り添う店づくりについてお送りします。
この記事の目次
「着る人の夢を叶えるオーダーメイドスーツ」幼い頃からファッションが大好きだった
株式会社ミューズの代表取締役社長、勝友美です。当社は「着る人の夢を叶える」をコンセプトに、オーダーメイドスーツ専門店を経営しています。最初は大阪でスタートし、現在は東京にも出店しています。
私は幼い頃からファッションが大好きで、学校を卒業後、すぐにアパレルの販売員になることを決めてアパレルショップで働き始めました。そこでは、ありがたいことに初日からトップのセールスを達成することができ、良いスタートを切ることができました。
その後、販売員をしている時にヘッドハンティングを受けることになります。中国最大のポータルサイトの日本館の立ち上げに関わる仕事で、中国や海外の方に日本の商品やアパレルを購入していただくためのサイトの監修を依頼されたんです。
当時は今ほどネットショップなどがなかったため、この仕事に携わることで新しいキャリアが積めると思い、全体のスタイリストとしてお手伝いをすることにしました。
そこでは日本の商品を買いたいという中国人のファンを作るための業務や、日本の企業に対して、事業の可能性を広げるためにサイトに出品することを勧める営業などを担当していました。
父の死を機に転職。そしてファッションの仕事が自分の人生だと気づく。
しかし、そんな時に父が癌にかかってしまったんです。そして、仕事と父の生活を支える日々が始まりました。1年半ほどで父が亡くなってしまったんですが、父の死を機に私は仕事に対する情熱を全く失ってしまい、結局、仕事を辞めてしまうんです。
とはいえ、働かなければならないのですが、その時の私は仕事に対する情熱を失っていましたので、次の仕事は通勤時間が短いこと、時給が高いこと、仕事終わりが早いことなどの条件だけで探していました。
結局、歯科医院の受付の仕事に就くことにしました。歯科医院の仕事は楽な仕事ではありませんでしたが、私が求める条件がピッタリだったんです。ところが勤めたのは良かったんですが、歯科医院で働いているスタッフが「早く辞めたい」と話しているのを聞きとても驚きました。
以前アパレルで働いていた時には、私自身、仕事が好きだったこともあって、売上を上げるためにはどうすればよいかという建設的な話が多かったのですが、スタッフたちのネガティブな内容の会話を聞いて、何故こんなにネガティブなのだろうかと不思議に思いました。
その時、私は単にファッションが好きだったのではなく、自分の人生だったんだということに気づきました。そして、再びファッションの仕事をすることを決め、仕事を探し始めました。
ファッションの世界へ復職。オーダーメイドスーツとの出会い
次の仕事では、自分が持っている知識や経験を生かし、同時に足りない部分を学ぶことができる仕事をしたいと考えました。
そんなある日、小さな求人広告でオーダーメイドスーツの販売員の募集を見つけました。しかし、以前中国で働いていた時に、スーツを着慣れていなかったためにパフォーマンスを発揮できず、逆に失敗してしまった経験があり、スーツを着ることが嫌いになっていました。そのため、興味はあったものの少し迷いました。
既製服を売っているお店ではお客様と仲良くなり、お客様が欲しくないものであっても、欲しいと思わせることで買っていただくことができます。しかし、オーダーメイドスーツは最初にスーツを作る時と納品する時に必ずお客様にお会いするため、お客様とのコミュニケーション力が非常に重要になります。
また、オーダースーツは既製服とは違い、1時間かけて採寸して作ります。お客様はスーツを作るという明確な目的をもって来店されるため、今まで培ってきたコミュニケーション力が活かせるだけでなく、服の知識も深まり、接客のスキルもさらに高まると考え、そのお店で働くことに決めました。
当時のオーダーメイドスーツの世界はお客様の理想を叶えるものではなかった
しばらくそこで働いてみると、私が想像していたオーダーメイドスーツの世界と、実際の世界には大きな差があることが分かりました。
当時は、ファストファッションの先駆けである「twenty four」とか「ZARA」などが出始めた頃で、そのお店ではオーダーメイドスーツ本来の価値は置いておいて、値段を下げて短時間で接客し、供給しようという風潮がありました。
そのため、店舗側は価格を下げるために工賃を抑えなければならず、簡易な縫製になってしまったり、工場との関係が悪くなってしまったり、社員を早く帰らせた人が偉いという風潮が広がってしまったりと、さまざまな問題が発生していました。
お客様は単にスーツが欲しいだけではなく、自分の目的を達成するための1着を作りたいと思って来店されているのであり、より良い未来を手に入れるためにオーダーするわけです。お客様の目的を叶えなければ、顧客満足度の低下やクレームの増加といった悪循環が生じてしまいます。そのような環境で働いていたため、スーツを作れば作るほど仕事が嫌になってしまい、何度も仕事を辞めることを考えるようになりました。
しかし、辞めることを伝えても、私の後に入ってきた社員たちが私よりも先に辞めてしまう状況でした。原因は職場の環境でした。労働環境は過酷であり、技術職であっても技術を教えてもらえなかったり、教育環境が整っていなかったり、非常に難しい仕事であっても社内でしっかりと教える人材がいなかったりと、さまざまな問題がありました。
ある日、私はスーツを作っている工場を訪れました。
そこで職人さんたちは20年もボタンを縫い付け続けていたり、40年も生地を切り続けたりしていました。職人さんたちは、お客様の顔も知らないにも関わらず、店頭に立っている人間よりも着る人のことを考えて服を作っておられたのです。
それを見た時に、このプロフェッショナルな技術や心をお客様に伝えることが、私たち店頭に立つ者の仕事だと感じました。
同時に、ただ文句を言っているだけの自分も嫌になりましたし、技術力がないとか、この生地がどんなスーツになるのかわからないとか、そういったギャップを自分の力で埋めるしかないと思って学校に通うことにしたのです。
職人と同じレベルで話せるくらいまで勉強し、精一杯できることをやる
私は、パーソナルカラーやパーソナルスタイリスト、色彩、そして裏地とのコーディネートなど、どんな些細なことでも学校で学べることは全て勉強することにしました。
ただ、縫製や採寸については学校がなかったため、太ももや膝、ふくらはぎなど、何百人も採寸してデータを取り、自分で資料や教材を作成しました。例えばアームホールの場合、2ミリの違いでも着用者が体感する一方で、お尻は5ミリの誤差でも体感しないんです。そのように各部位ごとに細かく採寸してデータ化し、着心地の良い服を数字で表現することを目指しました。
そして、ミリ単位まで徹底的に調べ、最終的には指の腹の感覚で数字を割り出せるようにまでなりました。
職人さんたちと信頼関係を築くには、どこでも誰でもできることをやっていたのでは意味がなく、自分たちができることを精一杯やって、同じレベルで話せないとダメだと考えました。職人さんたちは個性的な人が多いので、言葉よりも行動で示す必要があると思ったのです。
2、3年の間にデータを取りながら仕事をし、教科書とまでは言えませんが、自分でマニュアルを作成して、独立することになったんです。
今回のお話はここまでです。次回は、独立後について詳しくお聞きしていきます。