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お店ラジオ 2025/01/10 2025/01/10

突然のチャンスで決めた独立

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「お店ラジオ」は、店舗経営にまつわるトークラジオ番組です。小売店や飲食店など各業界で活躍するゲストをお招きし、インタビュー形式でお届けしています。この記事は、InterFM・FM大阪で毎週日曜日にお送りしている「お店ラジオ」で放送された内容を再編集したものです。

今回のゲストは、漢方職人であった祖父の技術を受け継ぎ、クラフトコーラ専門メーカー「伊良コーラ株式会社」を創業した代表取締役/コーラ職人の小林隆英さんです。独自の製法で作られる「伊良コーラ」は、伝統と革新を融合させ、和牛や高級バーなど、こだわりの場面で愛されている一品です。

祖父から受け継いだ漢方技術をもとにクラフトコーラ「伊良コーラ株式会社」を創業し、伝統と革新を融合させたユニークなコーラを作り出すまでの経緯、そしてその商品がどのようにして特定のシーンで強く共感されるようになった背景や、今後の展開について、3回に分けてお送りします。

第1回は、クラフトコーラとの出会い、クラフトコーラのコンセプト、「伊良コーラ」の誕生などについてお送りしました。

第2回は、新しくおしゃれなクラフトコーラと創業の経緯、キッチンカー・シロップ・オンラインストアーの展開などについてお送りします。

 

この記事の目次

 

新しいコンセプトとおしゃれなデザインが好評の「伊良コーラ」

キッチンカーは全体が深緑のような色合いで、屋根を白色にしました。また、看板は湘南にありそうな夏を感じさせるデザインに仕上げました。ポスターもおしゃれで、赤を基調とし、真ん中には白抜きでカワセミを描き、シンプルかつスタイリッシュなデザインにしました。

このパッケージデザインも、初日から完売した理由の一つだと思います。新しいコンセプトに加え、デザインが好評だったのだと思います。

このスタイリッシュなデザインが青山のファーマーズマーケットに来るような、おしゃれな人たちに受け入れられたのです。キッチンカー自体もおしゃれで、サーブの際の動作も一つ一つ丁寧で、全体的に洗練された雰囲気を作り上げていました。

炭酸を作るためには、ホームセンターで庭に水を撒くためのシャワーホースを購入し、口の部分を取り外してホースに繋げて使用していました。炭酸水のタンクもホームセンターで調達し、大量の水と氷を入れ、超高圧の炭酸ガスをかけて炭酸水を作っていました。これは、非常に手間のかかる作業でした。

さらに、改造して作った装置であったため、ホースから炭酸を出す際に、「プーッ」という変な音が鳴っていました。しかし、その音が逆に人々の注意を引き、工房のようなクラフト感満載の雰囲気が生まれたのです。

 

突然のチャンスで独立を決める

青山ファーマーズマーケットに出店し始めた当時、私はまだサラリーマンで、週末だけの活動でした。土日は本当に忙しく、朝から出店の準備や仕込みをし、朝9時から夕方6時まで、休憩なしでひたすらコーラを売り続けました。

日曜の夜にはヘトヘトになり、月曜からまたサラリーマンの仕事に戻る生活で、金曜日には少し回復し、また土日で疲れるという繰り返しでした。それでも、この事業はどんどん忙しくなっていきました。

ただ、すぐに会社を辞められなかった理由は、不安があったからです。最初に出店したのは7月29日、真夏の時期でしたが、冬になると冷たい飲み物を飲まなくなるだろうと思い、「これで本当に生計を立てられるのか」と不安になりました。

そんなある日40代くらいの男性が店に来て、「映画館の飲食担当ですが、うちに卸してもらえないか」と言ってくださったのです。話を聞くと、吉祥寺に新しくできる「アップリンク」という映画館の方で、伊良コーラを取り扱いたいとのことでした。

売り上げの見込みを計算してみると、月に10万や20万の売上が見込めそうで、たとえキッチンカーがうまくいかなくても、生計を立てられるのではないかと判断し、その年末には会社を辞めて独立することを決めました。

 

イベントでの出店で感じた卸の重要性

ファーマーズマーケットでの販売は、どんなに頑張っても1日に200〜250人くらいが限界でした。500円×200人ですから、1日で10万円くらいが上限です。ただし、これは土日限定の話で、平日や天気が悪い日は全く売れず、同じ場所で夜のイベントがあった時は、たった3杯しか売れなかったこともありました。売れる時は10万円でも、売れない時は数千円というような状況でした。

こうした経験を通して感じたのは、「単体では売れない」ということです。

キッチンカーでクラフトコーラだけを売るのは非常に難しく、ファーマーズマーケットのように賑わいがあり、人が集まる場所でなければ売れません。キッチンカーはやはりお祭り感のある場所でこそ一番売れるのです。

クラフトコーラという独自の要素もありますが、飲み物というカテゴリーは食品とはまた異なる難しさがあると感じています。そんな中で始まった卸の仕事が、新たな活路を見出すきっかけとなりました。

 

キッチンカーで全国を回る

キッチンカーでは、都内のイベントだけでなく、さまざまな場所に出店しました。フェスティバルに出店したこともあり、地方にも足を運びました。車に乗って、前日から現地入りして準備することもよくありました。

愛知で開催されたフェスティバルにも出店しました。多くの人が集まるイベントで、採算が取れると期待していました。しかし、キッチンカーは高速道路を走れない仕様だったため、下道を走行すると車が壊れそうで、結局陸送で運ぶことにしました。その結果、陸送費がかさみ、収支はトントンになってしまいました。

そうした経験を踏まえ、現在では中距離でも移動できる「カワセミ号」という第二号車を作り、全国を回ることができるようになりました。

こうしてキッチンカーで全国各地を回って販売する時代を経て、今ではしっかりとしたロゴが入ったアルミ缶の商品を作り、コンビニなどでも取り扱っていただけるようになりました。

 

名前の語源とお客様の希望から生まれたシロップ

私の名前は小林ですが、祖父は漢方職人で、「伊東良太郎」という名前でした。祖父はその名前から「伊東良」を取り、「伊良薬効」という工房を営んでいました。私もその伝統を引き継ぎ、コーラを作る際に「伊良」の名前を使い、「伊良コーラ(IYOSHIコーラ)」と名付けました。

当初、キッチンカーで伊良コーラを販売していましたが、どれだけ売れても1日の最高売上は10万円ほどで、大きな利益を出すことはできませんでした。そんな中、お客様から「持ち帰り用が欲しい」という声が多く寄せられるようになりました。炭酸を加えたままだと、持ち帰る途中で炭酸が抜けてしまい、美味しさが損なわれるためです。

そこで試しに「シロップだけでもいいですか?」とお客様に尋ねてみたところ、「炭酸はコンビニで買うから、シロップだけで十分」との返事をいただきました。

こうして、シロップだけをパウチに詰めて販売し始めました。まるで駄菓子屋のようなスタイルで提供していましたが、あるお客様から「10個ください」と言われたこともあり、シロップ自体に大きな需要があることに気付いたのです。

 

取材対応で生まれたオンラインストア

ちょうどその頃、テレビ番組『ヒルナンデス』で取材を受けることが決まりました。しかし、キッチンカーは出店場所が抽選で決まるため、放送があっても抽選に外れてしまうと、1か月間出店できず、大きな機会損失になるかもしれないという不安がありました。

そこで、シロップを小さな瓶に詰めてインターネットで販売することにしました。こうすれば、放送を見た人が全国どこからでも購入できると思い、工房を改装してオンラインストアを立ち上げました。

さらに、せっかくシロップの瓶を作ったので、小売店にも営業してみようと考え、まずは伊勢丹新宿店にメールで営業をかけ、訪問しました。最初は「誰だ?」という反応でしたが、バイヤーの後藤さんが興味を持ってくれ、「これはすごい!イベントとかやりましょう」と言ってくださいました。これがきっかけで、イベントやポップアップストアに参加でき、かなりの売上を達成することができました

イベントでは、シロップそのものを販売し、試飲をしてもらった後に購入してもらう形を取りました。また、キッチンカー「カワセミ号」でもお土産用のシロップを販売していました。独立して最初の一年間は、このようなスタイルで活動を続けていました。

第2回は、新しくおしゃれなクラフトコーラと創業の経緯、キッチンカー・シロップ・オンラインストアーの展開などについてお送りしました。

第3回は、店舗のオープン、缶コーラの誕生とローソンでの販売、組織の課題と今後の展開などについてお送りします。

執筆 アキナイラボ 編集部

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