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「お店ラジオ2」は、店舗経営にまつわるトークラジオ番組です。小売店や飲食店など各業界で活躍するゲストをお招きし、インタビュー形式でお届けしています。この記事は、InterFM・FM大阪で毎週日曜日にお送りしている「お店ラジオ2」で放送された内容を再編集したものです。
今回のゲストは、「銭湯を日本から消さない」という理念のもと、継業によって10軒の銭湯を再生し続ける 株式会社ゆとなみ社代表・湊三次郎さんです。
大学時代に銭湯文化と出会い、「銭湯を日本から消さない」という理念のもと、廃業寸前の「梅湯」を引き継いだことをきっかけに、10店舗を再生。経営・採用・設備・地域づくりまでを手がける取り組みや「銭湯活動家」として歩み始めた湊さんの挑戦と哲学について、3回に分けてお送りします。
第1回は、銭湯との出会いや「梅湯」の継業に至った経緯、経営の立ち上げ期の試行錯誤についてお送りします。
この記事の目次
銭湯との出会い、そして継業
株式会社ゆとなみ社は、「銭湯を日本から消さない」の理念のもと、銭湯の継業を行っています。将来にわたって継続できる経営基盤を構築するとともに、次世代の担い手の育成にも力を入れています。
私たちは、2015年に廃業寸前だった「サウナの梅湯」を継業し、現在では10軒の銭湯を運営しています。社名である「ゆとなみ社」は、銭湯の経営、そして湯と人々の営みを大切にするという想いから名付けました。
「銭湯を事業承継する」というと、少し堅い印象を持たれるかもしれませんが、私自身の感覚としては、「引き継ぎ、次の世代へつないでいく」という想いが強くあります。
その原点は、大学進学をきっかけに静岡県浜松市から京都に引っ越したことでした。下宿先から徒歩1分の場所に銭湯があり、地元にはなかったその文化に初めて触れたとき、大きな驚きと関心を覚えました。
さらに近所を散策してみると、当時はまだ10軒ほどの銭湯が営業しており、自然と銭湯めぐりに熱中するようになりました。やがて学生時代には全国各地の銭湯を巡るようになり、「銭湯オタク」として、その魅力にのめり込んでいきました。
銭湯を未来へつなぐ
私が銭湯めぐりに夢中になったのは、地域ごとの個性や文化が色濃く表れていることに衝撃を受けたからです。昭和レトロな建物にも強く惹かれました。
しかし同時に、銭湯が全国的に急速に減少している現実を痛感し、「このままでは好きな場所がなくなってしまう」という危機感を抱きました。
きっかけは、学生時代にアルバイトをしていた京都の銭湯「梅湯」が廃業を検討していると知ったことでした。当時、会社を辞めようとしていた私は、「それなら自分が引き継ごう」と決意しました。引き継ぎは賃貸契約の形で、オーナーに賃料を支払いながら、建物の管理や設備改修、運営まですべて私たちが担う内容でした。
もともと廃業予定だった銭湯です。当然、売上も利益も見込めない状態でした。その中で、どう事業として成立させるかについては、正直あまり深く考えきれていませんでした。当時の私は24歳で、経営や会計の知識もなく、「なんとかなる」と思いだけを持っていました。今振り返ると、銭湯への思いと根拠のない自信での決断でした。
大家さんのご厚意で継業
家賃については、梅湯のオーナーさんのご厚意によるところが大きく、「若い子が頑張るなら応援するよ」と言ってくださり、良い条件で引き継がせていただきました。
最初の3カ月は家賃ゼロ。次の3カ月は月額3万円、その後は6万円と段階的に上がり、最終的には15万円で固定される形でした。契約更新はおおよそ3年ごとで、その都度状況を見ながら家賃を見直すという柔軟な運用をしていただきました。当時の梅湯は毎月20万円ほどの赤字が出ていたため、オーナーさんも「この状況で高額な家賃を課しても継続できない」と、配慮してくださったのだと思います。
当初の家賃条件は非常に恵まれていたと思います。それは単に建物を借りるだけでなく、銭湯としての設備もすべて含まれていたのです。当然、老朽化した設備も多く、水漏れが起きたり、高額になりがちなボイラーの修繕が必要になった場合などは、すべてこちらで対応するという条件でした。
当時の私は、知識も経験もなく、「100万円くらいあればできる」と本気で考えていて、まるで小学生のように、「100万円が一番大きなお金」という感覚で、手書きの簡単な事業計画書を作成し、スタートしたのです。その計画書は今でも記念として大切に保管しています。
実際には、ボイラーの入れ替えを含む内装改修やDIY作業などを経て、最終的には約500万円の初期費用がかかりました。それでも、一般的な銭湯の設備更新にかかる費用と比べれば、かなり抑えられた方だったと思います。通常であれば、1,000万円から2,000万円程度かかってもおかしくない規模でした。
甘くない現実に直面
営業時間は、午後3時半から午後11時頃まででした。
「1日100人程度のお客様が来てくれれば、なんとか事業として成り立つ」というのが業界の感覚で、私自身もこの基準を参考に、事業計画では「1年後には1日100人を目指す」という目標でスタートしました。当初の実際の来客数は1日60人前後でしたが、「増えていくだろう」という楽観的な見通しを持っていました。
しかし、現実はそう甘くなく、最初の平均来客数は 1日70人前後。100人を超えた日は年間を通してもわずか2〜3回程度というのが実情でした。こうした状況から、「毎日平均して100人を集めるのは、実際には非常に難しい」と、運営を始めて1年が経つ頃には痛感するようになりました。正直なところ、その時点で「どのタイミングで辞めようか」と考えることもありました。
しかし、1日100人の目標には届いていないものの、赤字を出していたわけではありません。それは、家賃の条件が良かったこと、そして私自身がワンオペレーションで現場に立ち、すべての業務を担っており、人件費がかかっていなかったためです。
さらに、燃料費の削減も大きな要素でした。もともと灯油を使用していましたが、薪に切り替えることで、月あたり約20万円のコスト削減に成功しました。もちろん、薪の運搬や処理といった手間は自分で担っていたため、時間的・肉体的な負担になっていました。
「開けてなんぼ」の銭湯
事業開始2年目の夏、来客数を増やすため、土日の朝風呂営業を始めました。朝6時半から営業し、単純に営業時間を延ばすことで集客アップを図りました。銭湯は「開けてなんぼ」の世界であり、長時間営業は有利に働きます。
とはいえ、当時は私ひとりで運営していたため、体力的に限界もありました。そんな中、常連客の若者たちが「手伝いたい」と申し出てくれ、経営に余裕が出た後はアルバイトとして朝番台などを任せるようになりました。
そして、体制が整ったことから、2〜3年目には、午後2時から深夜2時まで営業を拡大しました。深夜営業は京都でも珍しく、周辺地域からも客足が伸び、1日の来客数は150〜160人にまで増加し、メディア露出やイベント開催にも取り組むなど、認知度向上にも努めました。
銭湯経営では、損益分岐点が明確で、一定の来客数を超えれば利益が出る構造です。コストの多くは固定費に近く、十分な集客があれば安定した収益が見込めるビジネスモデルだと感じています。
銭湯は「究極のリピータービジネス」
銭湯は、いわば「究極のリピータービジネス」と言えます。
徒歩圏内にないと、帰り道でまた汗をかいてしまい、せっかくの入浴が台無しになってしまいます。日常使いされる銭湯にとって、気軽に歩いて来られる距離感は非常に重要です。一方、スーパー銭湯のように、非日常の癒しを求め、月に1〜2回利用するお客様もいます。こうした方々には、施設に「特別感」や「体験価値」が求められ、商圏も広くなります。
そのため私たちは、徒歩圏内の常連客を大切にしながら、月数回訪れるライトユーザー層も丁寧に増やしていくことを意識しています。近所のお客様は「生活の一部」として銭湯を利用する一方、遠方のお客様には、ジャグジーや高品質なサウナなど、「自宅では味わえない特別感」が求められます。利用者層ごとに異なるニーズに応えることが、銭湯経営には欠かせません。
私たちは「浴室にはあまり手を加えない」という方針をとっています。設備面ではスーパー銭湯に劣る部分も多いため、「接客」に力を入れています。過剰ならないコミュニケーションで、お客さんとの程よい距離感を大切にしています。お客様に一声かけるだけで、印象は大きく変わり、「また行こうかな」と思っていただける居心地の良さにつながります。
また、当店には20代・30代の若いスタッフが多く、ご高齢のお客様からは「孫のようだ」と親しんでいただき、若いお客様からも「同世代が頑張っている」と共感を得られることが多いです。
第1回は、銭湯との出会いや「梅湯」の継業に至った経緯、経営の立ち上げ期の試行錯誤についてお送りしました。
第2回は、都湯の再生や店舗拡大の戦略、若手スタッフの育成やグッズ展開などの挑戦についてお送りします。