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「お店ラジオ2」は、店舗経営にまつわるトークラジオ番組です。小売店や飲食店など各業界で活躍するゲストをお招きし、インタビュー形式でお届けしています。この記事は、InterFM・FM大阪で毎週日曜日にお送りしている「お店ラジオ2」で放送された内容を再編集したものです。
今回のゲストは、「ラーメンを“消去法”で選び、ゼロからミシュラン常連店を築き上げた男」―株式会社イノセンス 代表取締役 水原裕満さんです。元バンドマンからスタートし、現在は複数ブランドを展開。再現性と持続可能性を軸に“イケてるラーメン屋”を追求するその歩みに迫ります。
ラーメン職人として異色の経歴を持つ水原さんが、飲食業界に足を踏み入れた経緯から、株式会社イノセンスを創業し、ミシュラン常連店を複数手がけるまでの軌跡、そして再現性と持続可能性を軸にブランド設計・多店舗展開を進める経営哲学について、3回に分けてお送りします。
第1回は、元バンドマンの水原さんが飲食の道を選び、ラーメン店を開業するまでの経緯や、ゼロから味を築いた創業初期の苦労についてお送りします。
この記事の目次
バンドマンから飲食業へ
株式会社イノセンスは、2013年に東京都・上北沢で「つけめん小池」を創業しました。翌年には「らぁめん小池」へとリニューアルし、雑味のない上品な煮干し系ラーメンで高い評価を獲得。その後も本郷三丁目の「中華蕎麦にし乃」、王子の「キング製麺」などを展開し、「ミシュランガイド東京」では「らぁめん小池」が7年連続、「にし乃」が4年連続、「キング製麺」が2年連続でビブグルマンを受賞しました。
ただ、私自身はもともとラーメン職人を目指していたわけではなく、最初は売れないバンドマンでした。その後、靴職人を志して専門学校に通いました。生活は楽しかったものの、バイト代を使って技術を学ぶ日々が続き、次第に「このままではまずい」と感じるようになりました。
そんなとき、「ご飯を食べながら技術を学び、将来は店を持てるかもしれない」と思い、飲食の道に進むことにしました。料理への強い関心があったわけではなく、あくまで生活のための選択でした。
最初に働いたのは居酒屋で、ホール業務を担当。お客様との会話が楽しく、「接客業って面白い」と感じたのがきっかけで、「料理ができなければ店は成り立たない」と気づき、料理の勉強を始めたのです。
“消去法”から始まった、ラーメン店経営への挑戦
私が修行していた居酒屋は、料理をしっかりと作るお店だったため、基本から丁寧に教えていただき、とても勉強になりました。
しかし、自分の店を持ちたいと考え始めた頃、ある壁にぶつかりました。私はお酒が飲めないため、仮に飲食店をやるとしても、お酒を扱う業態では、お客様の気持ちを本当に理解できないのではないかと感じるようになったのです。そこで、アルコールを提供しない業態に絞ることにしました。
そのとき思い出したのが、以前に半年ほど働いたラーメン店での経験でした。正直、ラーメンを選んだのは完全に“消去法”でした。とはいえ、むしろ何も知らなかったからこそ、迷わず突き進めたのだと思います。本当に「とりあえずラーメン屋をやってみよう」という軽い気持ちでのスタートでした。
そんな軽い気持ちで始めたラーメン店経営は、2013年にスタートしました。もう11年ほど前になります。当時働いていたラーメン店は非常に人気があり、私は、ラーメンは“出せば売れる”ものだと思い込んでいました。今思えば、それが一番危険な考え方でした。「何もしなくてもお客さんは来る」と、本気で思っていたのです。
当時は豚骨魚介系のブーム真っ只中。その流れに乗るかたちで、つけ麺スタイルからスタートしました。
後戻りできない状態からの“味“づくり
ラーメンを始めた当初は、それっぽい味にはなっていたものの、正しい作り方を知らず、見よう見まねで作っていたため、見た目は整っていても味はまったく美味しくありませんでした。それでも勢いのまま会社を辞めて店舗を借り、自分の店をオープン。しかし、いざ提供してみると「全然違う」。味の完成度が追いついておらず、後戻りもできない。まさに崖っぷちの状態でした。
案の定、オープンから半年ほどはほとんど売れず、「さすがにマズい」と思い、以前働いていたラーメン店のオーナーに頭を下げて、タレやスープの作り方を教えてもらいました。実際に自分で再現してみると、その違いに衝撃を受けました。そうして、ようやく“お店の味”が完成したのです。
そこから少しずつお客様が増えはじめました。住宅街の小さな店に、週末には2〜3人の行列ができるようになり、かつて一度離れていったお客様が再び訪れ、「美味しくなった」と感じてくれたのかもしれません。
こうして、少しずつお店は軌道に乗っていきました。これが、「らぁめん小池」の始まりです。
らぁめん小池の安定と、“人が定着しない”という新たな壁
最初は苦戦した「らぁめん小池」も、1年ほどで地域のお客様に支持されるようになってきました。ただ、2店舗目を出すまでには4〜5年かかり、その間が一番大変だったと思います。順調に成長したわけではなく、オープンから1年半ほどでようやく社員を1人雇える程度の売上に届いた、というのが実情でした。
その後、経営は少しずつ安定していったものの、次に直面したのは「人が定着しない」という課題でした。振り返れば、その原因は自分自身にもあったと思います。今思えば、当時の私はかなり厳しく、高圧的な接し方をしていたため、「そりゃ辞めるよな」と反省しています。
そこで、「どうすれば人が定着するのか」を考え、働く環境の改善に取り組み始めました。2店舗目を出せた頃には売上も安定し、スタッフへの給与も少しずつ増やせるようになっていきました。スープやタレをすべて手作りで学べる環境に加え、収入面でも一定の満足が得られる“ちょうどいいバランス”を築けたことが大きかったと思います。そして何より、私自身が少し優しくなれたのかもしれません。
ブランド価値を保つための戦略
4年後、2店舗目として「中華蕎麦にし乃」を本郷に出店しました。通常であれば、同じブランドで2号店、3号店と展開するのがセオリーですが、私たちはあえて名前もコンセプトも変え、上北沢の「らぁめん小池」とはまったく異なる形で新たにスタートさせました。
その理由は、ラーメン業界においてチェーン展開が進むと、手軽に食べられる反面、「ここでしか味わえない特別な一杯」という希少性が薄れ、ブランド価値が下がってしまう傾向があるからです。「らぁめん小池が食べたければ、上北沢まで行くしかない」と思っていただけることこそが、ブランド価値を守るうえで重要だと考えました。
そのため、私たちは「ブランドは店舗ごとに変える」という方針を取りました。店舗ごとにゼロから名前をつけ、認知を広げ、価値を築いていくのは、手間と労力のかかる挑戦です。それでもあえてその道を選んでいるのは、会社として長期的に見たときに、そのほうが正しいと信じているからです。
効率より直感で選んだ、2店舗目・本郷の地
店舗展開をするうえでは、ドミナント戦略が効率的だとよく言われます。材料の搬入やスタッフの移動、口コミの波及など、さまざまな面でメリットがあります。しかし、私たちの場合、1店舗目の上北沢から2店舗目の本郷までは30分以上離れており、そうしたドミナントの利点は活かせませんでした。
それでも本郷を選んだのは、「山手線の内側に出店したい」という思いがあったからです。厳密にいえば、特別な戦略ではなく、直感に近い判断でした。当時は東京都23区内に絞って物件を探しており、たまたま良い物件が見つかったのが本郷。知人の紹介というご縁もありました。
本郷は東京大学や東京ドームが近く、住宅もあるなど、さまざまな要素が混ざり合った魅力的なエリアです。出店地の選定には、理屈よりも“感覚”が大きく作用していたと思います。
物件は路面の1階でした。ラーメン屋はふらっと立ち寄るお客様も多いため、視認性の良い1階は理想的です。創業当初は資金的な理由から住宅街での出店が中心でしたが、現在では上野や新宿など人通りの多いエリアにも展開できるようになりました。今では、出店エリアをある程度絞り込みながら、立地と賃料のバランスを見極めて物件を選定しています。
第1回は、元バンドマンの水原さんが飲食の道を選び、ラーメン店を開業するまでの経緯や、ゼロから味を築いた創業初期の苦労についてお送りしました。
第2回は、「らぁめん小池」から始まった店舗展開と、各ブランドの戦略、再現性と持続可能性を意識したレシピ設計などについてお送りします。